百歳さんこんにちは:鳥取県・箕田勝代さん(100歳)

2015.08.01 241号 06面
芯が強く前向きな性格

芯が強く前向きな性格

 まもなく101歳を迎える箕田(みいだ)勝代さんは、熊本から鳥取の旧家に嫁ぎ、慣れない農業に苦労しながらも、立派に家と土地を守ってきた。いまは家族と穏やかな暮らしを送り、デイサービスで歌を歌うのが何よりの楽しみだ。

 ●百歳のお祝いで家族に歌を披露

 「美空ひばりの『川の流れのように』を歌うと、まさに自分の人生だなと思うの。100歳のお祝いで子どもたちが集まってくれた時にも、お礼に歌ったのよ」と、にこやかに話す勝代さん。鳥取県倉吉市で長男夫婦、孫の家族とともに暮らしている。

 週3回のデイサービスに通うのを楽しみにしているが、なかでもデイケアのみんなで歌を歌うのが大好き。「歌詞を覚えるのも頭の体操だと思ってね」。歌詞はすべて覚え、そらで歌えるそうだ。「フランク永井の歌も好き。『有楽町で逢いましょう』もいい曲よね」と話す。

 デイサービスが休みの日は、近所に暮らす三女が図書館から借りてきてくれた本を読んで過ごす。お年寄り向けに字が大きく書かれているので楽に読める。

 ●なりふり構わず農家の仕事を覚えた

 勝代さんは大正3(1914)年11月、熊本県で生まれた。亡き夫とは23歳の時に福岡・小倉で結婚した。「主人は倉吉の出身でしたが、弟に家業の農業を任せ、私の叔父の商売を手伝っていました」。その叔父の媒酌で結婚。2人の娘に恵まれたところで転機が訪れた。「家業を継いだ弟が日中戦争で戦死。家族会議で主人が家を継ぐことに決まり、倉吉から迎えが来たんです」。

 農業には全く縁もなく、しかも見知らぬ土地。「頭が真っ白になった」という勝代さん。悩みに悩んだが、「娘たちを父親のない子にしたくなかったし、主人も帰る決意を固めていたので決心しました」。汽車で9時間かけて倉吉へ。「庭には巨大な椎の木が3本立っていて、その庭より立派なお墓がある旧家。そこにお姑さんが一人で残っていました。大変なことになったと思いましたよ」。

 生まれて初めて鍬と鎌を持ち、農作業に従事する日々。「この土地を守るしかないと必死だった」と振り返る。「なりふり構わず、農家の仕事を覚えました」。

 ●多くの孫とひ孫に恵まれて

 「主人は、周囲から『仏さんのような人』と言われるほど穏やかな人でした」。5人の子どもに恵まれ、孫が11人にひ孫が16人。同居しているひ孫は小学4年生と2年生の男の子で「毎朝、学校に行くのを見送るのが何よりの楽しみ」とニッコリ旧家を立派に守り、92歳まで畑の草取りもすべてやっていた。病気を機に引退したが、米作りは長男、無農薬の野菜作りは嫁の敏子さんが引き継いでいる。

 食べ物の好き嫌いはない。デイサービスから帰ると、敏子さんがおやつを用意していてくれるのがうれしいという。自家製のにんじんと米粉でつくったシフォンケーキがお気に入り。食事も介助なしだが最近、手がしびれてきたので、食べやすいよう敏子さんが流行りの「おにぎらず」をつくってくれる。ひじきの煮物を具にするなど工夫しているそうだ。

 「腹の底から笑う」ことが健康法。「息子・娘夫婦がみな元気なのもうれしいの。子ども夫婦10人に看取られてあの世に行くのが夢なのよ」と、茶目っ気たっぷりに話してくれた。

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 あなたの周囲の元気な99歳(白寿)以上の方をぜひご紹介ください。

 百菜元気新聞編集部 TEL:03・6679・0212

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