日清オイリオグループ サラダ油100周年、その先へ “次世代型”食用油を提案【PR】

国内食用油の礎である「日清サラダ油」(日清オイリオグループ)が24年、発売100周年を迎えた。当時の食用油の中で群を抜く精製度合を実現した同品は、商品名の通りサラダなど生食でも楽しめる高品質食用油として誕生。以降、おいしさや栄養面でわが国の食文化向上に大きく貢献している。ターニングポイントとなる「101年目」を迎える中、同社では食用油へのさまざまなニーズに応える“次世代型”食用油を提案。1世紀商品「日清サラダ油」と次なる100年へ向けた次世代型食用油の意義を紹介する。

日本人の摂取カロリー上昇の一役を担った「日清サラダ油」

「日清サラダ油」は1924(大正13)年、日清オイリオグループの前身・日清製油が開発。「最新の食用油精製設備をドイツから導入し、大豆特有の青臭さを除去するなど精製度の高い食用油の製造に成功したことが始まり」(福田純二ホームユース事業戦略部長兼務ホームユース・ウェルネス食品開発センター長)だ。

「市場の維持・拡大を実現するためには、食用油の価値そのものを高めることが不可欠」と断言する福田部長

当時、わが国の食卓では食用油は主に天ぷら向けに使われていたが、西洋では塩や酢を加えた食用油をドレッシングのようにしても食べられていた。高い精製度や品質に加え、冷やしても固まらない同品はサラダ料理などに生(生食)でも使用できる「サラダ油」として誕生。天ぷら以外の揚げ物が食卓にあまり並ばず、煮物文化が主流であった1世紀前、わが国に食卓革命を起こしたといえるだろう。

おいしさはもちろん、戦前戦後の食糧難の中で、高い品質による栄養面での貢献も大きな功績だ。同品は戦時中、物資不足により一時期休売を強いられたが、特に戦後~1950年代の日本復興期には日本人の摂取カロリー上昇の一役を担った。肉食文化や洋食文化の普及とも密接なつながりを持ち(日本食糧新聞社調べ)、当時の日本人の健康課題の解決にも大きく貢献したと考えられる。

次なる100年へ、技術軸での“次世代型”食用油

こうした中、次なる100年へ向け、同社では食用油に対するさまざまなニーズに技術軸で応える“次世代型”食用油を数多く製品化している。その1つが、24年2月に発売した、開封後も鮮度が長持ちする「日清ヘルシークリア」だ。

「日清サラダ油」100周年の24年に発売された、国内で初めて開封後も酸化を抑制する「日清ヘルシークリア」
次世代型食用油として注目を集めている

同社独自の技術を組み合わせた新技術「ウルトラ酸化バリア製法」を導入した同品は、食用油の天敵・酸化に対するニーズをくみ取り、極めて困難とされていた「開封後」を含めた酸化抑制を国内で初めて実現。家庭用食用油24年最大の新商品に位置付けられ、日本食糧新聞社制定の「食品ヒット賞」にも満場一致で選出され、「日清サラダ油」発売100年目にふさわしい技術立脚型食用油との評価が高い。

展開製品ではこのほかにも一例として、国内で初めて揚げ物の吸油量抑制を実現した「日清ヘルシーオフ」では食用油に対する健康志向(カロリー低減)に、従来の半分の量で調理できる「日清キャノーラ油ハーフユース」では環境配慮や経済的ニーズに、それぞれ対応する。「サラダ油」発売から100年、多様化・重層化するさまざまな生活者ニーズに積極的にアプローチし、いずれも技術軸での解決につなげた意義は極めて高い。

潜在需要へのチャレンジを使命に

福田部長は「市場の維持・拡大を実現するためには、食用油の価値そのものを高めることが不可欠。特にクッキングオイル分野にはさまざまな潜在需要が存在し、これらにチャレンジすることはわれわれメーカーの使命」といい切る。食の基幹産業として重要な役割を担う一方、近年、周辺環境が大きく変化しているわが国の食用油業界では、世界要因に端をなす原料事情は不透明感が長く続く。中国をはじめとする人口大国は供給国から消費国へと変貌を遂げ、原料の大半を海外に依存する国内業界ではさまざまな対応策が求められている。101年目のターニングポイントの中、今後の動きに要注目だ。

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