痛快!脱サラ成功一直線(4)小瀬村寛雄さんの奮闘記「八十(やっと)」

2001.10.01 237号 14面

湘南の藤沢や湘南台・本厚木に、ジャズが鳴り響くおしゃれな居酒屋がある。その店名が「八十」と書いて、「やっと」と読ませる。何とも不思議でセンシブルな名前である。代表取締役社長(本人は、「だいひょうあそびにん」と呼称)は小瀬村寛雄氏五〇歳。脱サラ経営者の一人である。

「明治大学を出てから、イタリア・ブランドの婦人服輸入会社で働きました。デパートがほとんどの取引先で、高級なブランドばかりを扱っていました。それからいろいろあり、専務としてカラオケBOXの会社に引き抜かれ、初めて飲食業の世界にふれました。それまで、包丁なんて持ったことも無かったのです。

それから、新宿に元大手外食の幹部とベンチャー企業を立ち上げ、パスタのチェーン店を九店舗ほど展開しましたが、意見が合わず身を引きました。当時、酒問屋のM部長と運命的な出会いをし、この人から『湘南の地に、おしゃれな居酒屋をやりましょうよ!』とアドバイスを受け、この『八十』(やっと)第一号店を、いまから四年前にJR藤沢駅前に出店したのです」と小瀬村氏は言う。

小瀬村氏は、もともと湘南ボーイ。やはり商売するならこの湘南地区で…と構想三年、やっと物件も見つかり「よし出店しょう!」と思い立った。だから、店名は「やっと」と命名したのだと言う。エスプリ(ユーモアセンス)のきいた、しゃれた話である。

「八十藤沢店」は、試行錯誤の連続で大変な苦労をした。場所は駅前でめちゃくちゃに良いが、ビルの地下で人気風俗店の跡地。今でも「ここ風俗店じゃないの…?」と訪ねて来る客がいるほどである。当初考えていた事業計画通りには行かなかった。しかしこの店での経験が、二号店の藤沢湘南台で大ブレークする。

湘南台店は五〇坪、もとは老舗の割烹旅館。建物と周囲の環境が気に入った。一目で「あっ、これだ!」と感じた。満を持して、銀行から借りた三〇〇〇万円を投資。駅から少し距離があるが、線路沿いで目立つ場所である。デザイナーは、最先端のスタジオムーンの平野氏。おしゃれでメチャ良い店に仕上がった。

開店は平成11年秋。開店と同時に、日商で六〇~七〇万円を売上げる。現在最高日販は八一万円。月商は軽く一〇〇〇万円を超えて伸び続けている。そして昨年、北上し本厚木に三号店を出店。この店も、三〇坪ながら六五〇万円から七〇〇万円を売り、二年目の現在大きく伸び続けている。

「僕たちは、ナショナルチェーン展開なんて考えていません。一〇店舗もあれば十分です。その中で、若いスタッフにお店を任せ、彼らが繁盛させてくれればそれでいいのです。僕はオーナーですが、先程申したように『だいひょうあそびにん』ですので、こうして店にいてぶらぶらしているだけですから…」

「八十」(やっと)の魅力は、小瀬村社長自身の魅力でもある。湘南で磨かれた彼のあか抜けたセンスが、この店づくりに存分に生かされている。

「今後の夢としては、『八十』(やっと)を早く一〇店舗にしたいですね。今、あちこちで物件を探しています。あとは海外に店を出したいですね。それと、店を支えてくれる“人”の育成ですね。店の成果配分を大きくして、店長に大きな権限を持たせ店を任せたいなと思っています…」

湘南台店を出たのが、夜の8時ごろ。店はほぼ満席であった。外に出ると、初秋の心地良い風が吹いていた。海からは離れているはずなのに、かすかに潮の香りがしたように感じた。おしゃれな店でいただいた、おいしいビールのせいなのかもしれない。

((有)日本フードサービスブレイン代表取締役・高桑隆)

◆会社名=(有)オフイスコセムラ/代表取締役=小瀬村寛雄(ひろお)/所在地=藤沢市湘南台二‐一七‐一五/年間売上高=二億五〇〇〇万円

◆売れ筋メニューベスト5

(1)牛タン焼(七八〇円)(2)八十焼(一二八〇円)(3)お餅のピザ(七八〇円)(4)八十サラダ(八八〇円)(5)厚焼き卵(四八〇円)

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