名古屋版・繁盛店ルポ:飛騨古川編(下)「八ツ三館」

2000.11.20 216号 14面

飛騨古川の老舗旅館を訪ねての第二回目。創業は安政年間、一四〇年余り続いた歴史と伝統をもつ「八ツ三館」(やっさんかん)は、昭和54年の映画「あゝ野麦峠」の宿としても知られている。今回はこの旅館の女将に話を聞いた。

「八ッ三館」とは、初代三五郎が越中八尾より古川へ移り住み、旅館を創業したことから付けられた、大変ユニークな屋号。一度聞いたら忘れられない妙味ある名称である。しかし、その歴史と伝統に裏付けされた重厚感ある建物は、明治のころの面影そのままを残している。

昭和のころには、信州岡谷の製糸工場へ出稼ぎに出ている工女を無事親元に送り届けたり工女たちの荷物を近隣の村から受け取りに来る親へ渡したりする、製糸工場の検番の定宿でもあった。それが後に、大竹しのぶ主演で知られる「あゝ野麦峠」の映画の舞台になったのである。

玄関を入るとだだっ広い広間の真ん中に大きないろりが目に入る。吹き抜けと重厚な柱など、飛騨の匠の技術がそのままに表現されている。ここはかつて帳場であり、工女の父兄が荷受け後に工場側から出される熱燗と煮付け一皿、はんぺんをごちそうになったという場所。そんな雰囲気がまざまざと伝わってくる。

さて、高山、古川には「茶懐石宗和流本膳くずし」という戦国時代に飛騨を治めていた金森一族が広めた古式ゆかしい料理様式があるが、ここでもその宴を楽しむことができる。

本式では一〇時間以上かけてゆっくりと味わうものだが、今のご時世、観光といえどもなかなか食事に長時間はかけられない。しかし「最低二時間以上かけて味わっていただきたい」(女将)とのこと。温かいものは温かくを心がけ、鍋物は絶対に固形燃料は用いないのが鉄則だ。

部屋数二五室。一〇〇畳の大宴会場も用意。多いときには二〇〇人以上の宿泊客がある人気の宿だ。テレビ局、雑誌の取材は頻繁で、女将、若女将はテレビ出演の大ベテランだ。そのつど全国からはパンフレットを送ってほしいとの電話が殺到する。

「テレビを見て来られるお客様が画面とは違うとがっかりしないように、それ以上に喜んでくださるよう努めてます」

古川の町には、まだ観光地として魅力的であるが未知の部分がたくさん残されている。歴史や文化の担い手、情報発信者となる旅館のこれからに期待したい。

◆「八ツ三館」(=やっさんかん、池田高佳館主、岐阜県吉城郡古川町向町一丁目八‐二七、0577・73・2121)

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