ニューヨーク「グランド・セントラル駅」 駅中ビジネス再開発
正面玄関をオリンポスの神々の彫像が飾るグランド・セントラル駅は、ニューヨークのランドマークの一つでもある。総床面積は約二〇万平方メートル、構内の線路の長さは延べ五五キロメートル、計六七本の線が並び、プラットホームの数からすると、四四面もあることで世界最大の駅だ。ちなみに、東京駅には、二八面のプラットホームがある。一時は建て替え計画が持ち上がり、存続が危ぶまれたあと、寂れた状態のまま使われていたが、近年大改修工事が行われ、新しく生まれ変わった。通勤客を含め、一日延べ五〇万人が訪れる最高のロケーションには、高級マーケットやフードコートもでき、大いににぎわっている。(外海君子)
現在のグランド・セントラルターミナルは、一〇年の歳月をかけて一九一三年に完成した。八〇〇〇万ドル(現在の約二〇億ドルに相当)もの建設費用の一部は、不動産開発業者が線路の跡地にビルを建てる権利を買い取ることでまかなわれたという。駅ができたことで、周囲はオフィス街として発展していった。
戦後になると、自動車が普及し、電車の利用が減って運輸収入が減ると共に、マンハッタンの不動産価値が急騰したため、高層のオフィスビルを建てる計画が持ち上がったが、市民によって保存運動が繰り広げられた結果、グランド・セントラル駅は、市当局によって記念建造物に指定され、法律によって保護されるようになった。しかし、取り壊しは避けられたものの、メンテナンスの悪さから、次第にうらびれていく。再生したのは、一九九六年に始まった、総額一億九七〇〇万ドルと四年をかけた大規模な修復プロジェクトのおかげだ。
「工事にあたっては、一九一三年オープン当時の状況を再現するために最大の努力を払いました」と構内のテナントの管理を任されているジョーンズ・ラング・ラサール社のマーケティング部長、ポール・カストナー氏は言う。
たとえば、電灯の多くが、一九一三年当時に使われたもののレプリカだ。ネオンサインはご法度。テナントの店頭は、薄いグリーンで統一させた。目立つ看板も禁止されている。そのため、プロバスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンの有名なステーキ・レストランを探すのも難しい。入り口に小さな金のプレートがさりげなく掲げられているだけで、それすらもよく見えない。また、テナントには、設計図面を提出させ、器の建物と調和するように細かい指示を出したという。
改修にあたって、店舗部分の面積は以前より六五%広げられた。構内には、駅につきものの靴磨きやニュース・スタンドもあるが、中でも特に充実しているのは、食関連だ。テナントの選定には三年かけて、細心の注意が払われた。
「われわれは、全国的に知られた店でなく、ニューヨークでのベストの店を選んだのです」とカストナー・マーケティング部長は言う。
「たとえば、ザロース。彼らはもう三代目に入っている家族経営のベーカリーです。アメリカ中に知られているわけではありませんが、ニューヨークで生まれたニューヨークのパン屋です」
ザロース・ブレッド・バスケットは、一九二七年に東欧からエリス島に降り立った移民、ザロー氏が始めたベーカリーだ。グランド・セントラル駅に出店してもう四半世紀になる。現在、ザロースは、駅構内に四つの店舗を出している。新しいテナントには、スターバックスなどの全国チェーン店も入ってはいるが、ニューヨークと共に育ってきたこうした店が重点的に選ばれた。グランド・セントラル駅と同じく、一九一三年にオープンした老舗レストラン、「オイスター・バー」はいわずもがな、代々続いた眼鏡屋や時計の修理屋などもそのまま残っている。
「グランド・セントラル駅の中は、すべてニューヨークのベスト店を集めたことになります」とカストナー氏は言う。
再生したグランド・セントラル駅の地上階には、バルコニーも含めて、七十余店舗が営業し、飲食店のほかに、銀行、薬局、外貨両替所などが入っている。地下一階は、「ダイニング・コンコース」と称され、列車の発着所の前に二〇余りのファストフード店が並んでいる。アメリカの駅には改札口はなく、車内で車掌が切符をチェックするシステムなので、構内にはだれでも自由に入ることができる。そのため、フードコートには、乗客だけでなく、界隈(かいわい)のオフィスの人々も訪れる。出店舗は、すしあり、中華料理あり、イタリア料理あり、メキシコ料理あり、とバラエティーに富む。
管理専門のジョーンズ・ラング・ラサール社は、メトロポリタン・トランジット・オーソリティー(MTA=メトロポリタン公共交通公社)を代行して、これらのテナントから賃貸料と売上げの一部を徴収している。同時に、増収を図るため、マーケティングでもテナントを手助けし、共に駅中ビジネスの活性化に取り組んでいるという。
MTAは公益法人で、商業活動に制約が課されていることもあるが、子会社を作るなり、業務提携するなどして駅中に店舗を構える意思も計画もまったくない。
「われわれにはノウハウや専門知識がないからです。ワインの事情は、われわれでなく、ワインの専門店が一番よく知っているはずです」とMTAの広報担当官、ダン・ブロッカー氏はまるで論外だとでも言うように述べた。
「もち屋はもち屋」、ジェネラリストでなく、スペシャリストを目指すアメリカの風潮のせいか、店舗の管理でさえ、MTAは専門のラサール社に委託しているほどだ。また、構内の商業スペースが明確に設定されており、日本と違い、建造物が修正されることはほぼない造りになっているため、外部のテナント店舗を誘致するのに支障はない。
四年をかけた改修後の構内には、「グランド・セントラル・マーケット」という高級グルメ食品店街もお目見えした。パン、チーズ、チョコレート、惣菜、肉、魚、野菜・果物などの専門店が十数店入っており、ここへ来れば何でもほぼすべてがそろう。
マーケットのテナントの選抜を手助けした、当時フード・コンサルタントだったクラウディオ・マーティンス氏によると、ニューヨーク中を走り回って、最高の店を探し回ったという。
「マーケットには、同じ業者をそれぞれ二店ずつ入れました。これは互いに競争させて、高品質を保つためです。しかし、競合はしても、お互いのすみ分けはちゃんとすることができるよう配慮されています」
たとえば、マーケットにはドイツの肉屋とイタリアの肉屋が入っているが、ドイツの肉屋、コグリンは、ブラックフォレスト・ハムやカイザー・ソーセージというようにドイツ系のソーセージを提供し、イタリアの肉屋、チェリエーロは、数々のイタリアン・ソーセージのほか、ラザーニャなどのイタリア料理の惣菜を提供している。
同じようにベーカリーでも、ザロースは、主にハラーなどのユダヤのパンとベーシックなパンを扱い、コラード・ブレッド&ペストリーは、フレンチや自然志向のパンを提供しているため、互いにとって脅威にはなっていない。そればかりか、相乗効果さえあるという。
「客の嗜好はいろいろあり、違った趣向のものを提供することによってより多くの客を満足させられるので、活性化につながっているのです」とラサール社のマーケティング部長、カストナー氏も言っている。
再生したグランド・セントラル駅構内の高級グルメ・マーケットのテナントは、MTA(メトロポリタン公共交通公社)に代行して管理しているラサール社と、それぞれ五年から一〇年の契約を交わしている。その内容は細かくて綿密だ。
たとえば、惣菜店のコラード・セイヴォリーは、フランス料理、スペイン料理、中東料理を専門とし、他の料理を扱ってはならない。また、スペイン料理であっても、魚屋と競合しないように、シーフードを使ったパエリアを売ってはならない。となると、パテはフランス料理であるが、肉屋と競合しないのか、といったように、境界線が複雑になってくる。
この点に関しては、いつも管理会社の細かい監視と制約を受けている。一時期、コラード・ブレッド&ペストリーは、チョコレートがけのポップコーンを販売したことがあるが、これは管理会社から販売禁止を命じられた。マーケット内にあるチョコレート店の領域を侵害するというのが管理会社の主張だった。
また、サンドイッチや飲み物など、地下にあるフードコートと競合するものも一切売ってはならないという規定もある。マーケットはあくまでもテークアウトの場所という位置づけなのだ。
「ベーグルを売ることはできても、ベーグルにクリームチーズを塗って客に出すことはできません。地下の食堂街の妨げになると考えられているからです」とコラードは言う。
駅近辺に支店を持つことも許されていない。もちろん、駅構内の店舗の客を取られることになりかねないからだ。
あまりに多くの制約が課されるために、商売がしにくいとテナントはもらすが、しかし、グランド・セントラル駅に出店するということは、それだけで大いなる名誉なのだ。マーケットの中には、ほとんど儲けはないが、ここがフラッグシップ・ショップとなることから、採算を度外視している店もあるという。
鉄道だけでなく、地下鉄の路線も集中しているため、一五万人の通勤客を含め、毎日五〇万人がグランド・セントラル・ターミナル構内に入るという、フラッグシップ・ショップに格好のロケーションなのだ。
しかも、マーケットは、駅構内からだけでなく、レキシントン通りからのアクセスもあるので、外部の客も直接立ち寄ることができる。この便利さのために、多くの人が、出勤前に朝食や昼食を買ったり、帰宅途中、夕食用に出来合いの惣菜を買っていく。金曜の夜ともなると、週末の別荘に行く人たちが食糧品を買い求めるため、混雑する。
去年の実績では、グランド・セントラル駅中のテナントの一平方フィート当たり(一〇分の一平方メートル弱)の売上高は月一二〇〇ドル。アメリカ全国のショッピング・センターの平均値が一平方フィート当たり月販五〇〇から八〇〇ドルというから、グランド・セントラルの駅中ビジネスは、まずは成功していることになる。
グランド・セントラル駅の中央コンコースの眺めは圧巻だ。八階のビルに相当する高い天井、華麗なシャンデリア、大理石のバルコニーなどを見渡すと、一九一〇年代にタイムトリップしたような錯覚になる。飲食ビジネスは、その壮麗な建物の中に見事に溶け込んでいる。建て替えではなく、復元という選択を取ったグランド・セントラル駅は、今では、ニューヨーク市で最も多くの観光客が訪れる観光スポットにもなっている。
◆オイスター・バー&レストラン
グランド・セントラル・ターミナルの中で一番有名なレストランは、一九一三年、ターミナルがオープンしたときから営業している「オイスター・バー&レストラン」だろう。まさにグランド・セントラル駅と歴史を共にしてきた重鎮レストランだ。ジョン・F・ケネディ大統領、マリリン・モンロー、エリザベス・テイラーなどの著名人も訪れている。元ニューヨーク市長、コッチ氏も常連だ。
もはや伝説的存在ともなった「オイスター・バー」は、名前が示す通り、新鮮なカキを食べられることで有名だ。常時、二〇から三〇種のカキをそろえている。
「われわれの歴史はグランド・セントラル駅よりも長いと自負しています」と言うのは、ジェネラル・マネジャーのマイケル・ガービーさんだ。グランド・セントラル駅は大改修を行ったが、オイスター・バーは一九一三年開店当時のまま、ほとんど何も変わっていないからだ。九七年の火災で多くを消失したが、まったく元通りに修復された。タイルを使ったドーム型天井も、九〇年前の開店当時のままだ。これからも変える計画は一切ない。
グランド・セントラル駅の大修復工事の際には、新しい規定に従って、いくつかの譲歩をせねばならなかった。
「玄関の色を白からグリーンに塗り替えさせられたのは、うれしくなかったですけどね」とガービーさん。また以前は、テークアウト用のスタンドを店外に出していたが、修復後は一九一三年当時のように、店の脇に窓を作ってテークアウトを行っている。この二点が変えられただけで、レストランの内装は、大修復前も後も変わらない。
レストランのメニューは毎日替わる。生ものを扱うので、手に入るものが毎日異なるからだ。シェフは午前3時にフルトン魚市場に出かけて、新鮮な素材を購入する。
著しく伸びつつある新興のレストランが多くある一方で、このように長く人々から愛され続けてきたレストランもある。ジョージ・ワシントンが頻繁に訪れたという「フランシス・ターヴァン」、同じく一八世紀にできた「ブリッジ・カフェ」、一九世紀にできたリトル・イタリーの「ヴィンセンツ」などと共に、「オイスター・バー&レストラン」は、ニューヨークの伝説的な存在になっている。アメリカの歴史が新しいだけに、古き良きものに対する愛着やあこがれが強いのかもしれない。
(昨年3月には、日本に世界で二店目のオイスター・バーができた。店内の内装もアメリカとまるで同じものになっている)