地域ルポ 東京・蒲田 東口に複合ビル計画、活気に満ちた下町の繁華街
JR蒲田の街は“工場のマチ”としてのイメージが強いが、総武線の錦糸町に似た雰囲気で、お世辞にも清楚で美しい街とはいえない。この街の駅ビルが東西にあって、そこを軸にして街の商業集積が進んでいるのだが、戦後のバラック建てのマーケットからの発展ということもあって、不揃いの雑居ビルが多く、ハデハデの看板を掲げた小さな店が高密度に軒を連ねている。すべてに雑然とした感じの街だが、しかし、人の来街が多く、活気に満ちているという印象を強くする。
だが、実際の蒲田は長く不況で、町工場が廃業してきている面もあり、また、沿線の大森や川崎の発展で地域間競争が激化、これによって街の吸引力も低下するという傾向をみせている。このため、東口では地域活性化対策の有力手段として蒲田五丁目の高砂香料工業の工場跡地に、大田区と民間企業の共同事業で総額八〇〇億円を投じて平成10年を目標に地下三階、地上一八階の複合都市ビルを建設する計画を策定している。
蒲田は東京・大田区の南部に位置しており、多摩川を挟んで川崎市に隣接している。
街は京浜東北線のJR蒲田(一日平均乗降者数二三万人)を中心にして開けているわけだが、鉄道は東急目蒲線、同池上線の二線(同一六万三〇〇〇人)が結節しており、また、JR蒲田駅東口から四〇〇mほど東に移動すれば、京急蒲田があり、交通アクセスには恵まれている立地特性にある。
しかし、街の中心軸はあくまでもJRと東急の駅周辺で、そこに高密度に商業集積が展開している。JRの改札口を出て東口に歩く。駅ビルから東口の駅前広場に出るわけだが、蒲田の駅ビルは二つのビルに分かれる形になっている。
東口の駅ビルは東館「パリオ」、西口は西館「サンカマタ」。どちらも蒲田ステーションビル(株)(本社・大田区蒲田)が運営管理しているものだが、パリオには飲食一〇店舗を含め一二六店の店舗が出店している。
地上六階建、延べ売場面積約一八〇〇坪。オープンが東京オリンピックの前年の昭和38年3月。この後、昭和54年11月に改装、現在の形で営業している。
パリオの最上階の六階にレストラン街を展開している。54年の改装時にオープンしたものだが、現在、銀座アスター、日比谷マツモトロー、とんかつ和幸、釜めし・うどん鳥銀など有名店を含め計一〇店が出店。
階段(エスカレーター)を下りて外に出れば、パリオの一階だ。正面が駅前広場(ロータリー)で、その前面および左右に商店街が広がる。
町名でいえば蒲田五丁目になるが、蒲田東口の商店街はこのエリアにボリュームゾーンを成している。ロータリーの正面に中央通り、一番街の二つの商店街の表示が見える。
その入口周辺、ロータリー前面には小さな雑居ビルが建っており、一、二階に喫茶、江戸前すし、お好み焼き、とんかつ、回転すしなどの店が軒を連ねている。
これら商店街は東側に伸び、風俗関係を含め多様な商業、飲食ゾーンを形成する。
とくに、中央通りは今でもその面影を残しているというが、小さな飲み屋やバー、ピンクサロンなどの店が点在する。ここは蒲田一の歓楽街で、50年代初めのころまでは大賑わいだったという。
この通りは京急蒲田につながるが、夜は新宿の“ミニ歌舞伎町”という様相で、オジサンや若いサラリーマンたちにとってはエキサイティングな飲食ゾーンだ。
蒲田東口のメーンストリートは駅前通り(東口商店街=蒲田東口商業協同組合)だ。片面二車線のバス通りでもあるが、この両サイドはアーケードの商店街になっており、呑川に架かるあやめ橋およびその手前を右折する京急蒲田「あすと」商店街入口まで続く。
組合加盟数は二六〇店だが商店数は非加盟店を合わせれば四〇〇店前後になり、この半数以上が飲食店舗だという(加盟商店主)。