食品産業功労賞受賞者プロフィル:生産部門=明治製菓・佐藤尚忠氏
佐藤尚忠氏は昭和15年3月25日、東京都大田区に生まれた。明治製菓への入社動機は、“生活必需品”ではなく“生活充実品”である菓子を通して、人々の「おいしい・楽しい、健康、安心」に貢献したいと考えたから。入社後は主に営業畑を歩み、地方支店長時代は一国一城の主の気構えで辣腕を振るった。
社長就任後は、中期経営計画を経営の中心に据えるため「強くて、おもしろい会社」の実現をスローガンに、平成17年度を最終年度とする中計「チャレンジ2005」を策定。ユニークなスローガン「強くて、おもしろい会社」を決めたのは佐藤社長。座右の銘とする高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」が念頭にあったようだ。同中計は、当初の目標を超える利益水準を達成し、業績のV字回復を果たす。この成果をもとに、現在は平成20年度を最終年度とする新たな中期経営計画「DASH!08」に取り組んでおり、連結売上高4400億円、経常利益200億円の達成を目指している。
また、健康ビジネスにおける事業展開を強化・スピードアップし、食薬兼業のシナジーを最大限に発揮できる体制を整備するため、食料カンパニーとヘルスケアカンパニーを再編・統合。平成16年4月からは総合菓子メーカーとして初めて菓子卸との取引制度の改革に着手するなど業界が抱える課題にいち早く対応した。海外事業の強化にも注力、中国・アジア・北米を中心とした市場展開を継続する。特に中国市場に対して取り組みを強化しており、上海に生産工場を建設するなど、本格的な事業展開を図っている。
菓子事業では、高カカオ分チョコ「チョコレート効果」や「ショコライフ」をはじめとした大人向けの市場開拓を他社に先駆けて展開するなど、日本のチョコレート文化の活性化に貢献。薬品事業では、医療費抑制の流れを受け市場の伸長が期待できるジェネリック分野での事業拡大を図る。医療ニーズに沿った特徴ある製品の拡充やMR(医療情報担当者)全員を活用したプロモーション展開などでジェネリック事業の基盤を早期に整備し、「スペシャリティ&ジェネリック・ファーマ」としての発展を目指す。また、日本チョコレート・ココア協会会長として「チョコレート・ココア国際栄養シンポジウム」を開催、チョコレート原料カカオの新たな可能性を追求する活動を通して、日本のチョコレート文化の向上に貢献している。
〈略歴〉昭和15年3月25日生まれ。東京都出身。39年慶應義塾大学経済学部を卒業し同年明治製菓入社。主に営業畑を歩み、平成3年北関東統括支店長、7年取締役、首都圏統括支店長、11年常務取締役、12年食品本部長、13年代表取締役専務執行役員、食料カンパニープレジデント、菓子営業本部長。15年代表取締役社長に就任、現在に至る。この間、日本チョコレート・ココア協会会長として「チョコレート・ココア国際栄養シンポジウム」を開催、チョコレート原料カカオの新たな可能性を追求する活動を通して日本のチョコレート文化の向上に貢献している。
◆明治製菓
〈企業概要〉大正5年に東京菓子(株)として東京市日本橋区(現東京都中央区)に創立、翌年大正製菓(株)と合併し、13年に明治製菓(株)に社名を変更する。15年には近代的な生産設備によりミルクチョコレートを発売。昭和36年マーブルチョコレートの発売で「チョコレートは明治」という、カテゴリートップとしての評価が一気に高まる。43年日本で初めてのスナック菓子「カール」を発売。以後「アポロ」「きのこの山」「「チョコレート効果」「フラン」「ショコライフ」などを発売し菓子業界をリード。平成9年には「キシリッシュ」でガム市場に本格参入した。
食品事業は、大正15年ココアの製造販売に始まり、現在はココア、銀座カリー、まるごと野菜スープ、アミノコラーゲン、砂糖由来の甘味料GF2などを食卓に届けている。薬品事業は戦後進出し、昭和21年無定形ペニシリンカルシウム塩の製造を開始、抗生物質を中心とする医薬品ストレプトマイシン、カナマイシン、ハベカシン、メイアクトを世に送り、長寿社会の実現に貢献。この間、一般用医薬品、農薬、動物薬の分野にも進出、36年に発売したイソジンは消毒薬、うがい薬として広く使用されている。現在、4研究所と6工場38支店、132営業所、3海外事務所を持つ。平成19年3月期の連結売上高は3938億5300万円。