痛快!脱サラ成功一直線(6)五十嶺実さん「炭火焼Bar Qoo-喰-」

2001.12.03 241号 19面

筆者は、横浜で店舗専門不動産会社「日本ソフト店舗」の経営顧問をしている。二年前、その不動産会社から紹介されたのが、今回登場願った五十嶺(いずみね)実さん(36)である。

横浜の磯子で生まれ、磯子工業高校へ進んだが、高校生の時からディスコでバイトし、以後ずーっと水商売(ディスコ・ショーパブ)の世界で働いてきた。二六歳の時、初めて会社員の世界に入る。ビジネス社会の基礎知識が全くなかったので、“知恵遅れ”扱いされて悔しい思いもしたが、トップ営業マンとなり自分で人材派遣会社を起こすまでに頑張った。

外食事業として飲食店を開店したいと思い、店を探しているところだった。当時は、「牛角」などの焼き肉店が急激に伸びてきている時で、同じような炭焼きの焼き肉店を勧めたが、ただの焼き肉店では面白くない。BARと焼き肉を合体した「炭火焼Bar」という新しい業態を開発した。そして、開店して一年半がたった。

筆者は、開業アドバイザーとして繁盛飲食業のポイントを教えた。五十嶺さんは、水商売が長かったので、飲食店の基本が多少ずれていた。繁盛する店は科学的な根拠がある。繁盛するには原則がある。この原則通りに営業しなければ繁盛しない。筆者は説き続けた。

物件が出た時、一目見て「この物件はやり方次第! 潜在力のある物件だ!」とアドバイスした。

だが、立地は決して良くない。小さな商店街から路地を入り、坂道を下ったビルの半地階フロアである。独立開業するには金がかかる。家賃負担も大きい。できれば、家賃が安くコストのかからない物件が望ましい。立地はイマイチだが、賃料は一〇万円、敷金数ヵ月。唯一の救いは、坂道にあるためビル地階の壁が全部看板になることだ。

「ここで個性的な店をやろう!」。筆者は五十嶺さんにアドバイスした。内装は流行の暗めのBar空間。各メーカーからの協賛も取り付け、Barカウンターがかっこ良いシャレタ店になった。

開店は、平成12年6月。開店後は、思いもかけぬ順調な売上げであった。一七坪で月商三〇〇万円を超えた。

ところが本年9月、思わぬ伏兵が待っていた。“狂牛病”である。

「今まで、土・日が必ず一〇万円以上の売上げでした。ここは住宅街です。夜の早い時間帯は、完全にファミリーが入る焼き肉店でした。ところが、狂牛病発生からファミリーがピタッと来なくなりました。9月下旬から、土・日がまったくだめになりました。今はBarタイム(午後9時~深夜1時)にお客が入ります。看板にBARと書いてありますから、これからはもっとBarの要素を取り入れた、居酒屋風な店にしてこの狂牛病ショックを乗り切りたいですね」

彼は今、真剣に改装を考え実行しようとしている。

「狂牛病がなくても、この二年間で牛角をはじめ、周辺に四店舗の焼き肉店がオープンしました。だから業態変換の良いタイミングじゃないでしょうか。僕もまだ若いですから、今度の試練も僕なりの仕掛けで乗り越えますよ。見ててください」

店を出た時、秋の夜風が吹き過ぎていった。夜空を10月の月が明るく照らしている。その月を見ながら、五十嶺さんの元気な笑顔がよみがえってきた。

((有)日本フードサービスブレイン代表取締役・高桑隆)

◆夫人からの一言

奥さんは、店には入ってないのでコメントなし。ただ、普通の会社員になるきっかけは、奥さんとの結婚と子供が生まれたためだという。

「いつまでも、こんな水商売やっていられない」と本人が真剣に考えた結果だという。

◆炭火焼Bar Qoo‐喰-/企業名=(株)フィフティーズ/代表者=五十嶺実(36)/店舗所在地=横浜市旭区笹野台1‐28‐1/店舗面積=17坪/年間売上高=約3000万円/投資金額=開業費として1500万円を借り入れた/自己資金=自己資金はほとんどなかった/借り入れ=開業費は義父を保証人として地方銀行からの借り入れでまかなった/メニュー=七輪の炭焼き焼肉とアラカルト&カクテル

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