外食史に残したいロングセラー探訪(53)崎陽軒「昔ながらのシウマイ」

2011.07.04 388号 25面
ひょうたん型の醤油入れ「ひょうちゃん」が登場したのは1955年。三代目となる現在は、漫画家の横山隆一氏による初代の絵柄を復活させたもの

ひょうたん型の醤油入れ「ひょうちゃん」が登場したのは1955年。三代目となる現在は、漫画家の横山隆一氏による初代の絵柄を復活させたもの

現在はJRをはじめとする駅構内店舗のほか、百貨店など約140店舗で販売を行っている

現在はJRをはじめとする駅構内店舗のほか、百貨店など約140店舗で販売を行っている

 崎陽軒は1908年、4代目横浜駅長であった久保久行が退職後、知人(後の東京駅長、高橋善一)の推薦により、妻、久保コト名義で横浜駅構内営業の許可を得て、牛乳やサイダー、餅などを扱う売店からスタートした。「シウマイ」の販売が始まったのは、それから20年後の1928年のこと。以来、横浜名物として多くのファンに支持され、1日約80万個も製造される超ロングセラー商品だ。

 1923年の関東大震災から復興した崎陽軒では、これからの同社には何か特色が必要と代表の野並茂吉が将来性を考えた。そこで、この土地ならではの特色が不可欠であるとして、「横浜名物づくり」がスタートした。

 着目したのが、横浜南京街(現在の中華街)で突き出しとして出されることの多かったシュウマイである。汁気も少なく弁当の折り詰めに最適であったが、冷めてしまうとおいしくないという最大の欠点があった。そこで、点心職人呉遇孫の協力のもと、約1年間かけて、「冷めてもおいしいシュウマイ」を完成させた。

 また、味だけでなく、揺れる電車の中でも食べやすいようにと、小ぶりの一口サイズにもこだわった。

 1928年4月に販売が開始された「シウマイ」だが、当初は認知度の低さからか1日の販売数はわずか10~20個ほど。そこで、飛行機を使い、空から無料券付きチラシを配るなど、積極的な販売促進を行っていたようだ。

 その後、1943年には戦時下の肉の統制によりシウマイは製造中止となるが、戦後再開する。

 横浜駅は東京から約30分という距離にあり、駅弁を販売するには非常に難しい場所である。そこで1950年に、シウマイをバスケットに入れて車窓から売り歩くシウマイ娘を登場させると、その反響は大変大きく、崎陽軒の名を全国に広めることとなった。シウマイ娘は、身長制限など厳しい採用基準があったものの人気の職業となる。1952年にはシウマイ娘がヒロインの新聞小説「やっさもっさ」(獅子文六)が連載され、映画化もされている。

 「シウマイ弁当」の登場は1954年のこと。酒悦の福神漬、横浜カマボコ、そして崎陽軒のシウマイという3つのおかずを柱に、もう一つの横浜名物としてたちまち人気商品となる。冷めてもおいしく食べられるように蒸気で炊き上げたご飯、そして、ご飯から出る水分を適度に吸収する経木折の弁当箱など、駅弁としての「冷めてもおいしい」ための工夫がここでもなされている。

 その後も、「真空パックシウマイ」や、加熱機能付き「ジェットボックスシウマイ」、「電子レンジ対応シウマイ」など、時代のニーズに応え、さまざまな開発が行われている。

 また、発売以来、変わらぬ味の「昔ながらのシウマイ」から派生した特製シュウマイや季節限定シュウマイなどの開発が常に行われ、好評である。

 ●愛用食材

 1928年以来、シュウマイの原材料は豚肉、干ホタテ貝柱、玉ネギ、グリーンピース、砂糖、塩、コショウ、そしてうまみを閉じ込めるためのでんぷんの8種類だけである。

 豚肉:関東近県産のフレッシュを使用。使う直前に工場でミンチにする。

 干ホタテ貝柱:うまみ、コクを出し、味の決め手となる貝柱は、北海道オホーツク海産。一晩水でもどしてから、もどし汁とともに使用する。

 保存料などは添加していないため、消費期限は製造から17時間に設定している。

 ●店舗データ

 「崎陽軒」/経営=(株)崎陽軒/本社所在地=横浜市西区高島2-12-6/創業=1908年4月

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