めざすはMISS料理人:「ラ・クイエット」山崎育子さん

2000.04.03 201号 6面

料理人歴丸五年。二五歳の山崎さんは獲物を狙うハンターのごとく、旬の店で修業を重ねている。皮切りは日本料理店。お茶、お花、わび、さびに引かれ、迷わず選んだ世界だが、そこで二番手の先輩の、和食だけでない幅広い料理知識、実力に圧倒される。

一年後、その人が辞めるのを潮に、山崎さんもいろいろなものを知ろうと決心。著作を読み、あこがれていた熊谷喜八氏にアタックし、銀座キハチに入る。

「二年間、多くを学びかつ鍛えられました。ただ、自分にもともとの基礎がないので、それをつけるのが先と気づいたんです」

やりたいと思うフランス料理を、自分は本当にやっていけるのか。そんな疑問に答えを出すために、店を辞めると同時にフランスへ単身渡航。ひと月余り冬のフランスを歩きまわった。

そんなある日、ビストロでオニオングラタンスープに出合い、感動する。「素朴な料理だけど、寒さで震えていた体が本当に芯から温まった。『これがフランス料理だ』と、うれしさがこみあげてきたんです」

帰国後さっそく、求人広告で見つけたホテル系フランス料理の店へ。フランス人シェフのもと、「次はこれをやりたい」とどんどんアピールし、基礎を身につけていった。

一年後、「分業制ではなく、すべてができる店で修業するため」、目をつけていた青山のラ・ブランシュに直談判。そこでの研修中、フランス帰りの河野シェフから「ラ・クイエットに、一緒に来ないか」と打診される。これが昨年春のこと。

「厨房がシェフと私だけなので責任は重大ですね。自分の持ち場をこなしつつ、早く次のレベルに進むのが一番の課題。またフロアでお客様と接する機会も多く、ワインなど料理以外のことも勉強になる。毎日こなすべき課題がどっさりです」

朝8時に厨房に立ち、シェフに最新仏料理を学び、客から「おいしかったわ」と声をかけられ、店を閉めるのは夜11時。休みの日も寝だめすることが多いそう。

「この店できっちり修業をし、一~二年後にはフランスに行く。向こうで三年は働いて、日本に帰ってシェフになりたいんです」

狙いを射程内にとらえ、山崎さんの猛修業は続く。

◆やまざき・いくこ=一九七四年東京・三輪で三代続く豆腐屋の娘として生まれる。料理好きで、人と同じことをするのが嫌い。周りが大学進学する中、服部栄養専門学校へ進み、料理の道に。「仕事がつらかったとき、親に『愚痴るならやめれば』とあっさりかわされた。その言葉に奮起して、いまの私がいます」

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