うまいぞ!地の野菜(32)長崎県現地ルポおもしろ野菜発見「四葉キュウリ」
「昔はキュウリといえばこの種だった。どこの家庭でも作られていた種類だったんですよ」と渡されたキュウリは、つかもうにもつかめないほどに鋭いとげで覆われている。
このキュウリ、正式名は四葉(すーよー)キュウリ。京都の漬け物メーカーから、冬場に品物が欲しいとの要望があり、「もともと夏の品種だった四葉を専門家の協力を得て現在の品種にしました」という「四葉研究会」の出口敏弘(66)会長。
四葉キュウリを一手に栽培する同会は八年前、五人のメンバーで結成した。
キュウリはヒマラヤ南部のシッキム付近とかアフリカが起源ともいわれ、古代エジプトでは一七五〇年ころから栽培していたという記録がある。中国には張騫が西域から持ち帰り胡瓜、後に黄瓜と呼ばれ広まった。
わが国へは六世紀ころ渡来、薬物として利用されていたが、江戸時代から野菜として本格栽培されるようになった。明治・大正にはそれほどの普及はなかったが、昭和に入り次第に普及、第二次世界大戦後には施設栽培の普及で急激な栽培量となり、周年栽培も可能となった。また品種も華北系の果実が長い大和三寸や四葉が定着するが、サラダの普及から生食用の見栄えのよい白イボが主流になってきた。
現在一般的に流通するキュウリは輸送に耐えるよう皮がかたく、形もしっかりしている。ところが四葉キュウリは、皮は味が浸みやすいよう柔らかく、形もすんなりと細く、とげが多く見た目はけっしてよくない。
同じJA内には、一一人で構成するいわゆる白イボキュウリを栽培する「キュウリ部会」があり、栽培面積二町で四〇万tを生産、一億円を売上げている。
一方、四葉研究会は、契約ながら五人で七〇aの栽培面積で二〇万t弱を生産、四〇〇〇万円を販売する。
四葉キュウリは年四回播種する。久留米原種育成会から取り寄せた種は、育苗センターで発芽させ、二五日でハウスに定植。一ヵ月~一ヵ月半で収穫となる。
「ハウス栽培なので梅雨時には閉め切りとなり、虫と病気との闘い。また温度差が大きいと空洞ができやすいので温度調節に気をつかいます」
これだけ手塩にかけ育てた自慢の四葉キュウリも、九九%が漬け物メーカーに納入され、残念ながら地元でお目にかかることもない。
最近こうした従来の行き方を見直し、地元への積極的な働きかけを試みた。
まず地元の漬け物メーカーと規格外品を商品化する話、これは価格的に折り合わずボツとなる。
また、たまたまテレビ番組で「どっちの料理ショー」に取り上げられ、大きな反響はあったが、生産者は五人。絶対量が追いつかず広がるチャンスを逸した。
「うちでは味噌漬けや焼酎漬け、糠漬けにするけど、生のサラダ感覚で食べると意外においしいよ」という奥さんの節子さん。八年前から地域の即売所にキュウリやミニトマトなどを出荷している。
この地区は野菜産地のため、地元客が大勢買いにくる場。今後はこうした場を利用して直接販売に力を入れていきたいという。
■生産者=出口敏弘(長崎県大村市小路口町二五一、電話0957・55・7242)
■販売者=JAながさき県央大村事業本部、四葉研究会(長崎県大村市杭出津一‐八七〇‐一、電話0957・53・6161、FAX0957・52・4143)
■販売価格=一ケース三五本入り。一五〇〇円が目安。