トップインタビュー:宇都宮餃子会会長・伊藤信夫氏

1997.11.17 140号 5面

――なぜギョウザが宇都宮名物なのですか。

伊藤 戦中、宇都宮に駐屯していた陸軍師団が満州に動員され、復員後、現地で食べたギョウザを懐かしみ、見よう見まねでつくり始めたというのが“宇都宮餃子”の由来です。栃木県は粉食(うどん)が身近で、ニラや白菜はその辺に生えているぐらい豊富。だから当初から一般家庭にも広く浸透した、というわけです。

――五年前「宇都宮餃子会」を結成されましたが、その経緯は。

伊藤 家計調査のギョウザ項目で、長年、栃木県が消費量トップの座についているのですが、それをあるテレビ番組で取り上げられまして。予想以上の反響を得たことから街興しを兼ねて「宇都宮餃子会」を結成したのです。

――以後、ブームが定着したのですね。

伊藤 定着したというか、実は一昨年前にトップの座を静岡県に奪われましてね。ブームも一段落かと思った矢先、またもやテレビ局から「日本一奪回作戦という番組をつくらないか」ときたわけです。

「宇都宮餃子会が王座奪回会議を開き敵地静岡に視察に行く」という企画で、気乗りしなかったのですが、とりあえず協力しました。すると再び大反響を受け、去年、本当に日本一に返り咲いてしまったわけです。

最初のブームと異なり宇都宮市民の消費機運が高く、「ギョウザは宇都宮のものだ」という地元精神が根付き始めていることを実感しましたね。これでハッキリと名物として定着したのではないでしょうか。

――ギョウザの名物化後、街でどのような変化が見られますか。

伊藤 宇都宮は「日光の玄関」とか「日帰り出張」といったイメージが強く、必要最低限の用事で通過されるケースが多かったのですが、名物化後は「帰りついでに食べていこう」「宇都宮に来たらギョウザ」といった向きが強まっています。宇都宮来訪者の滞在時間を引き延ばす役割として、街の活性化に機能していると思います。

とくに日帰り出張のサラリーマンからの反響が大きいですね。従来は仕事が終わり次第、姿を消していたのに、いまは帰りがけにギョウザで一杯飲むケースが増えています。

当店は三〇席で夜8時までなのですが、ビールは一日に一〇〇~一五〇本も売れています。冷蔵庫を大型に換え、さらに大型を導入したほどです。

――「宇都宮餃子会」のおもな活動内容は。

伊藤 ガイドマップ作成やイベント参加などの宣伝面で足並みをそろえるぐらいで、とくに定期的な活動は行っておりません。会を大々的に展開するよりも、それ以前にやらなければならないことが数多いからです。

――具体的には。

伊藤 見てのとおり、宇都宮餃子の盛り上がりはマスコミ先行による色合いが濃い。ギョウザ目当てのお客さんが増えてきても、それが期待外れの味だったら一過性のブームで終わってしまう。だから組織化よりも各店の味を研ぎ澄ます方が先決なのです。それぞれの店が、それぞれ味のチェックを欠かさず行う、宇都宮餃子の誇りを持った日々の努力がさらに必要ですね。

――会はさておき、伊藤さん自らの手掛ける「みんみん」のほうも順調に業績を伸ばしているようですが。

伊藤 ブームをきっかけに二店舗から八店舗になりました。多店舗化するつもりはなかったのですが出店希望者が多いもので、のれん分けで対応しました。早朝に本店で作ったギョウザを各店に卸しているだけなんですが、それぞれ順調です。

メニュー構成は五アイテムに絞った昔ながらのスタイルを守っています。焼き餃子、水餃子、揚げ餃子は各二〇〇円(五個)。それにライス一〇〇円とビール五〇〇円。小商圏立地ののれん分け店ではラーメンをサイドメニュー化しているケースもあります。

――売上げ実績は。

伊藤 午前11時30分から午後8時までの営業時間、火曜定休、席数三〇席で、直営二店舗は月商八〇〇~一〇〇〇万円。小商圏立地ののれん分け店はその半分ぐらいといったところでしょうか。とりわけ直営店の売上げは、五年前のブーム当初に比べ倍増していますね。

――倍増はすごい。ブームとはいえ、なぜ、そこまでギョウザがはやるのでしょう。

伊藤 ギョウザのイメージが変わりつつある、という大きな流れが要因だと思います。

ギョウザといえば昔は、ニンニク臭いとか脂っこいというマイナスイメージや、ラーメンの脇役といった中華イメージが先走っていたのですが、近年は和風飲茶としての認識を新たにし、ギョウザ単品で人気を集めています。

加えて、戦後の食糧政策により、小麦粉食が完全に戦後生まれの消費者に浸透しています。

ニンニク控えめの宇都宮餃子がはやったのも、そんな時代背景にタイミングよくマッチしたからだと思います。

――宇都宮流のギョウザ文化はこれからが本番ですね。

伊藤 その通りです。お客さんや他店の目を意識しながら、いま以上に各店が技術を磨き、全体のレベルアップを図っていきたいですね。ギョウザチェーン店など他の地区からの新規出店も歓迎します。

――ありがとうございました。

昭和8年、新潟県生まれ、六四歳。

戦後、同氏の義母が満州移住時に覚えたギョウザを持って昭和33年、宇都宮に餃子専門店「みんみん」を開業。昭和35年、同氏が経営を引き継ぎ、ニンニク控えめ、白菜ベースのクセのない和風味にアレンジ。広く支持層を獲得し、宇都宮餃子の代名詞となる。現在は「宇都宮餃子会」の初代会長も務め、宇都宮餃子のレベルアップに努める毎日。まちおこしに一役買うほか、ギョウザ文化を広めようと「みんみん」の多店舗化にも乗り出している。テレビ番組の企画で生まれた「宇都宮餃子会」は、結成から五年目を迎え現在会員四〇店舗。宇都宮餃子の現状と課題を聞いてみた。 (文責・岡安)

(「みんみん」=栃木県宇都宮市馬場通り四-二-三、電話028・622・5789)

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