食の安全を支える微生物検査の歩み(11)食中毒の変遷
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MYP培地に発育したセレウス菌※の集落 ※セレウス菌はMYP培地では、マンニット非分解であるため集落周囲の培地が赤色を帯び、レシチナーゼ反応が陽性であることから集落の周辺が不透明なワックス状のきめの粗い灰色~暗灰色を呈する
1949(昭和24)年から食中毒の届け出義務が開始された。その当時の病因物質は細菌性・化学性・自然毒の3種類で集計され、食中毒の発生件数は年間1000~2000件、患者数は2万~3万人前後で、細菌性食中毒の主な原因菌はサルモネラ属菌、黄色ブドウ球菌であったが、原因不明も多くあった。
一方、戦後間もない昭和20年代は、経口感染症の赤痢の患者数が5万~10万人前後と、食中毒の患者数を大きく上回っていた。筆者が中学1年生で東京オリンピックが開催された19