(写真上)旧マッケンジー邸、(同下)邸内には当時の茶見本が展示されている
緑茶の輸出は明治期に2万tを超え、一時は生糸と並ぶ輸出品の花形となった。その後の大正と昭和初期はゆるやかに減少しながらも1万tを超える量が輸出されていたと記録されている。太平洋戦争で途絶えた輸出は戦後に復活し、1950年代に再び1万tに達し最後のピークを迎えるが、60年代には完全な終息を迎えることとなる。 ダンカン・ジョセフ・マッケンジーは1918年(大正7年)にアーウィン商会の日本支社勤務としてアメリカから来日した。マッケンジーは日本で輸出業者協