大相撲とともに 呼出しの背中「なとり」

「なとり」といえば、“大相撲”を思い浮かべる人は案外多いのではないか。呼び出しの着物の背にクッキリと浮かびあがった「なとり」の文字は相撲ファンならずとも一度は目にしているはずだ。栃若時代から柏鵬時代、北の湖、千代の富士時代を経て、若貴を中心に曙、武蔵丸など外国出身力士がからむ現在の黄金期を通して、「なとり」と染め抜かれた呼び出しの背はこれまで何億、何十億の人々に見つめられてきた。

今でこそ若い女性たちをフィーバーさせている相撲は企業にとっての宣伝価値も高く、呼び出しの背中は引く手あまたのようだが、当初は全く違っていた。

昭和20年代といえば何とか戦争の混乱から抜け出そうとしていた時代。それだけに大相撲にとっても苦しい時代で、とくに呼び出しは土俵の上に着て出る着物にもこと欠く仕末。「何とか作ってくれる人はないか」と探していたところ、ひいきの旦那衆の中から「よし、作ってやる。その代わり名前を入れよう」との声があがったのがはじまりということである。名取光男前社長もさっそく「うちでも応援しよう」と着物をつくって呼び出しに贈ったが、名入れとはいえ、テレビ放送もなかった時代だけに、観客だけしか目にすることがなく、あまり宣伝の役を果たすことができなかった。

ところが昭和28年(一九五三年)になって、大相撲がテレビで実況中継され、全国に放映されるようになると、宣伝価値が上がり希望者が殺到するようになる。しかし、義理人情を重んずる相撲界のこと、苦しい時代に協力を惜しまなかった同社との結びつきがますます強まり、ブラウン管を通して「なとり」の名前が全国に流れるようになった。

ただ、実況中継がはじまった当時はまだ、呼び出しの背中に「なとり」の名前はなく、32年から本格的に登場する。56年(八一年)には名取小一社長のもとCI導入への取り組みがはじまり、ロゴも変わったことから、呼び出しの背文字も改められた。

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