忘れられぬ味(41) ニッカ会長・社長 竹鶴 威 客を怒鳴る布袋さん
大阪北新地に「入栄」という日本料理屋があった。カウンターが多く、椅子席が若干、二階はお座敷になっていた。すでに故人となったが、先代のおやじは頑固一徹な男であった。
知る人ぞ知る店で、一見の客はまず訪れなかったであろう。もちろんメニューなどない。今日仕入れた季節の良い材料で作ったオレのうまい料理を食え、といわんばかりである。
一品ずつ頃合いを見て出てくる料理はさすがにうまい。残すとおやじの機嫌が悪くなるから食べるのではなく、残すのは勿体ないほどおいしいから、きれいに食べられる。従ってその店に行くときは必ずお腹を空かせた状態で行く。
ある時、カウンターにいた客が、話に熱中し料理が二~三品たまっていた。心配した仲居さんが前に立って、吸物の蓋をとって差し出した。おやじは目ざとくそれを見つけ、途端に怒鳴った「吸物の蓋までとって食わさんでもえェ!!」と。
私はこの店でおやじが客を怒鳴りつけているのはこれで二度目であった。一度目は何があったのかは良くわからなかったが、文句を言った挙げ句「二度と来るな!!」と一喝した。要するに自分が誠心誠意作った料理を喜んで食べるために来るのでなければ、この店には来ていらないということである。
前夜二階の座敷で宴会があり、翌日カウンターに来る常連客もある。そのことをおやじに報告しなかったら、ひどく叱られたと仲居さんが言っていた。「同じ客に二日続けて同じものを食わせられるか!!」と、そのような客のためのメニューも常に考え、材料を用意していたという。もちろんなじみの客には好みの物、味を知っており、客の嗜好に合う調理をして出した。おいしかったとほめ、酒をすすめるとコップに受けて、にこやかに相好をくずし「おおきに」と布袋さんのような顔をして飲んでくれた。あの顔が忘れられない。本当の職人芸の人間であった。
もうこういう人はいなくなったのではないか。二代目が継いだが、バブル後に閉店してしまった。
味にうるさいおやじが、ウイスキーはニッカが好きで、店にはニッカが並べてあった。
(ニッカウヰスキー(株)会長・社長)
日本食糧新聞の第8349号(1998年3月30日付)の紙面
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