忘れられぬ味(55) フジワラテクノアート・会長 藤原章夫 “心”の味

総合 統計・分析 1998.06.05 8379号 2面

昨今の飽食時代の味覚は次第にぜいたくに馴れてか鈍感になりつつある。世界の料理の頂点にあるフランス料理を食べに、パリ、リヨンそしてコートダジュールの有名レストランに足を運んだことがある。中華料理も台湾・香港・広州で多くの食する機会を得た。いま日本人に好まれているイタリア料理も現地での本物はもちろん、日本での高級なレストランにもたびたび出向いた。しかしどれも美味ではあるが、さしてたいした印象にも残っていない。毎日のテレビでは食通の紹介や日本料理の豪華な盛付けで目を楽しませてくれるが特に食べたいとも思わない。

私の体験から言えば「忘れられぬ味」には食事の中身よりも、その時の雰囲気や感情の方が大きく影響しているように思える。

一般的にイギリス、デンマーク、ドイツは料理のさして美味しくない地域と言われている。しかしドイツに住む友人宅にホームステイさせていただいたことがあるが、数日前から食材を準備し、心をこめて料理して下さった奥様の手造り料理は、レストランの味とは異なり今でも心に残っている。テーブルの上の食器の配列や、庭からとってきた草花、野菜をサラダボールに種々取り合わせた様子も格別で今でも忘れられない。日本では少ないが食事前の神への祈り、そして天地自然の恵みに感謝していただく時の味わいは何にもたとえようがなかった。

豊かになりすべての食材や各国の料理が購入でき体験できる日本では、物資のない時代や地球上の多くの国で貧困に苦しんでいる人々の思いを知ることは難しいだろう。恵まれすぎて感謝の気持ちを忘れがちとなっているからである。

終戦直後、私は満州で一年数ヵ月過ごしたが野草や馬の生肉をかじりながら飢えを忍んできた末、武装解除後、親日家の中国人から中華料理をご馳走になったことがあるが、その時の味は今も忘れることが出来ない。味覚だけならすぐ忘れるのがその時与えて下さった方々の温かい心に対する感謝や感激の気持ちが味を忘れさせないのであろう。

今でも物の豊かでない昔の、母がつくってくれた家庭料理にまさるものはないと思っている。瀬戸内の新鮮な魚やとれたての野菜を使って、こまめにつくってくれた郷土の料理は土の匂いと母の愛情の結晶であった。これ以上生涯忘れられぬ最高の味はないと今しみじみ回想している。

((株)フジワラテクノアート・会長)

日本食糧新聞の第8379号(1998年6月5日付)の紙面

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