忘れられぬ味(63) マ・マーマカロニ社長・斎藤 寛 思い出・三題…

統計・分析 総合 1998.07.22 8399号 2面

昭和25年、神奈川。戦後の混乱期、小学校低学年の私は貧しさと空腹の日々であったが、近所の友達と日暮れまで野原をとびまわる生活をしていた。そんななかで父の知人Yさんが時折訪ねて来るのが楽しみだった。一緒に遊んでくれることもあったが、それ以上に、東京みやげの「カステラ」を持って来るのが歓迎の大きな理由であった。このカステラのなんと美味しいことか。家族六人で分けると、小さな一切れしか食べられない。いつの日か、カステラを手づかみで思う存分食べたい、子供心にそんな夢を与える味であった。世の中が落ち着くと共に、この夢はそれほど遠くない日に現実となったが、このことが食品メーカーに就職し、今日の私を形成している原点といえるかもしれない。

昭和60年、東京。サラリーマン生活の充実期ともいえる中間管理職、連日の残業の合間をぬって、勤務先近くで同僚とホッとひといきの夕食。安くて美味い店をあちこち探したものである。路地裏の一〇人も入れば満員の小料理屋。おかみさん手づくりの肴が口に合い、メニュー外のものにも何度かありついた。年末には軽く酢でしめた「小鰭(こはだ)」を正月用に特別発注、仕事納めの日に家に持ち帰ったところ、家族に大好評、あっという間に食べ尽くされ、元日には影もなしという状況であった。翌年もお願いしようと楽しみにしていたが、転勤で東京を離れかなわぬ夢に終わった。数年後、東京へ戻ったが、そのあたりは近代的なビル街に変貌、小料理屋の形もなく、おかみさんの消息も分からない。

平成9年秋、イタリア。パスタ業界へ移って日も浅く、本場のパスタを含めたイタリア料理を食べようと夫婦で団体旅行に参加した。フィレンツェでの自由行動の日、和食もあるというトラットリアへ夕食に入った。日本人シェフのおすすめとのことで、アンテイパスト(前菜)に「ポルチーニ茸」を頼んだ。さっと焼いたものを生姜醤油で味わう。9月から11月が旬なので、ある程度の期待をしていたが、香りとともにシャキシャキとした歯ざわり、まさに至高の味。イタリアンに和風がミックスした忘れられない味となった。たまたま、隣り合わせたイギリス在住の日本人家族とも親しくなり、いつの日かイタリアで再会し、一緒にポルチーニ茸を味わいたいと便りを交わしている。

(マ・マーマカロニ(株)社長)

日本食糧新聞の第8399号(1998年7月22日付)の紙面

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