忘れられぬ味(5)福山醸造・福山卓爾会長「珍味とふるさとの味」

総合 統計・分析 1999.12.20 8627号 2面

私は子供の頃から酒の肴、いわゆる珍味類が好きだった。これは父の好みが自然に私の身についたのであろう。父は酒はあまり飲まなかった方で、家で飲んだことは見たことがないくらいであった。しかしカラスミとかコノワタなどをご飯のおかずにして食事をするのが好きだった。私もそれを真似て、コノワタをご飯の上にのせて食べたり、カラスミの切ったのをおかずにして食べるのが好きだった。小学生の時、弁当のおかず入れにカラスミを母が入れてくれたことがある。担任の先生はなんと思ったであろうか、おそらくわからなかったであろう。

また、一度おかず入れにうなぎの蒲焼きを入れてご飯の方に梅干しを入れたのを持って行ったことがある。得意になって父に、今日の弁当のおかずはうなぎと梅干しだったと話をしたら、えらく母が父にどなられていたのを、今でも忘れられない。

あの当時は、うなぎと梅干しは食い合わせの悪い最たるものであった。もちろん食欲旺盛であった私は、下痢もしなかった。長ずるに及び、コノワタ、カラスミとともに、くちこ(なまこの卵巣の干物)、ふなずしも私の大好物になってきた。

銀座七丁目にある浜作西店には時々行くが、そこで食べるカラスミ、くちこ、ふなずしは絶品である。それらで一杯飲んで後で食べる沢煮椀と焼きおにぎりの味も、また格別である。福山家は福井の出身で、福井に親戚もあるため、松露(しょうろ)、つぐみの粕漬、越前がにのメス(福井の人はセイコガニと言っている)などは、昔はよく食べたものである。

松露はキノコの一種で、海岸の松林の砂地に生える。これの味噌汁はうまい。さくさくとした歯応えは何とも言えない。つぐみの粕漬は焼いて食べる。頭から足の先まで骨のついたまま食べる。今は禁漁なので絶対食べることができない代物である。セイコガニは内子と外子が主役、今でも時期になると福井で食べることができる。私はゆでたセイコガニを砂糖を少し入れた酢醤油につけて食べたものである。

わが北海道では昔の鰊の味が懐かしい。活きの良い三〇センチメートルくらいの大きいメスを、一度に二尾くらい焼いて醤油をかけて食べた。私の学生時代(北大)、当時は食べ物の不足していた時代であったが、鰊はたくさんとれていた。「何はさて今日はママ炊け初鰊」という句を学友の一人が作ったが、その当時をあらわした懐かしい句である。

脂ののった鰊の焼いたのを食べるには、醤油の使用量が多いので有名で、鰊のとれた4月は醤油の出荷量が二ヵ月分あったほどで、われわれ醤油業界にとっても、鰊は懐かしい魚である。

(福山醸造(株)代表取締役会長)

日本食糧新聞の第8627号(1999年12月20日付)の紙面

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