忘れられぬ味(50)第一屋製パン・細貝理栄代表取締役「新妻の酢豚」

新婚旅行でドイツのシュトットガルトに滞在した時のことである。その数日前、スイスで濃厚なフォンドューを食べ過ぎて猛烈な下痢をおこし、新妻の前で甲斐性なくフラフラの有様、エスコート役として面目丸つぶれであった。何とか市内観光をこなし、おみやげ屋をのぞきながら通りを歩いていると、白い湯気をあげながら何やら売っている屋台が目に入った。近づいてみると、いわゆるフランクフルターと呼ばれる太めのソーセージをボイルし、カイザーロールにはさんだドイツ風ホットドックであった。おなかの方もどうやら落ち着いてきた矢先でもあり、このおいしそうなメニューに釘づけになって、家内の「大丈夫?」の声も耳に入らず、彼女の分もいれて「twei bitte」(二つ下さい)。フランクフルターもカイザーロールも過去何十回も食べてわかっているつもりであったが、この時のそれは何の変てつもない組合せなのに今までとは比べものにならないうまさで、まさに究極のフランクフルター・カイザーロール・マスタードのマッチングであった。あっという間に一個たいらげ、もう一つおかわりと思ったが、病み上がりではさすがに遠慮した。“干天の慈雨”的うまさであったかもしれないが、今でも思い出すと生つばが出る。

帰国後、新居に落ち着き、しばらくしてからのこと、好物の酢豚を“新妻”に所望した。彼女は料理ブックと首ぴきで一生懸命作って出してくれた。私は一口食べるなり「何だこりゃ!?」と絶叫して、そっくりのこしてしまった。酢豚ならぬ素豚で味も素っ気もない。子供の頃から食べていたオフクロのあの酢豚を(愚かにも)期待していた私は、若気の至りで思わずやってしまった次第。これは彼女の小さな心臓にグサリとささった。以降わが家の食卓に酢豚が再び上がるまでには二〇年近い歳月がかかった。この歴史の教訓をこれからの若い新郎に贈りたいが為にあえて公表した!?。年とともにこうしたエピソードも少なくなっているが、おそらく今はの際には、こういいのこしておさらばするであろう。

「細貝さん、食べ物で何か思いのこすことはありませんか」

「もう一度家内の酢豚を…」

「ご臨終です」

(第一屋製パン(株)代表取締役)

日本食糧新聞の第8843号(2001年5月16日付)の紙面

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