シェフと60分:フランス料理「ヌキテパ」オーナーシェフ・田辺年男氏

1997.07.21 131号 3面

常に世界に目を向ける男、田辺年男は今、一料理人としてレストラン経営の世界一を目指し、着々と地歩を築いている。

「世界一に近付くには何が必要か、それは素材です」テクニック、小手先の料理技術ではないという。

かつてフランス「ヴィヴァロア」で修業中、ペローオーナーシェフが見せた素材を生かす料理法に感服、自らも素材が主役の料理に徹する。

トマトについていえば、同じ太陽の光、潮の香りの海を持ちながら、土壌、気候の違いでフランス、日本ともそれぞれにおいしいトマトができる。

なにがなんでもフランスではなく、もっと日本のおいしいトマトを探す努力をすべきと説く。

自らも、野菜は、北は北海道から南は九州まで、おいしいと聞けば訪ねて行く。良ければ仕入れ、農家との良い関係を作る。量が不足すると隣の農家を紹介され、また新たな人間関係が広がる、「こうした付き合いがもう一〇年は続いているでしょうか」。

魚は、かつて知り得、今でも行き来のある三崎の網元から仕入れる。すべて信頼の糸で結ばれた人の縁である。

「人間は単純な動物。テクニックではない、要は、おいしいものを食べさせようという気持ちの持続が大切」。そのためにもおいしい素材を求める努力を惜しまない。

かつて身を置いた体操、ボクシングなどで世界レベル級の人物を目の当たりにして感じたことは、「彼らとの違いは大差ない。ほんのちょっとの違いに気付き、直していく努力を続ければいいのです」。

以来、この信念で突き進み、すでに世界一は手中にあると確信する。

厨房内には棚を置かない。それなら収納用の冷蔵庫があるかといえば、これもない。すっきりして気持のよい厨房は、品川地区ではモデル厨房として注目されている。

「オーナーシェフだからできた」と自慢の設計だ。

棚がない、床にものを置かない主義を通すため、収納はすべて地下の倉庫や五~六人は入れる大型冷蔵庫。

予約制をとり、また、その日仕入れたものはその日に使うを旨とするため、決まったメニューはなく毎日が異なる。そのため、地下の仕込み場であらかじめ仕込んでから一階の厨房に上げるシステムだ。

毎日のメニューは、その日の魚や野菜の仕入れ状況をにらみ夕方5時までに決めるが、全員でディスカッションをする。

「大筋決まっているが、みんながどう考えているか確認のためにやるのです」

また、行動を起こす時、必ず口にするよう義務づける。

“ハムを焼きます”“塩します”すべて言葉にすることで「確認をとり、ミスが出ず、気持ちが一つになって、初めて良いものができる」。

こうした独自のコミュニケーション法が裏打ちされ、初めて、打って一丸となる「ヌキテパ」体制がとれる。

料理はすべて素材にかかわると思ったのは、「ヒコイワシ」の一件があったからだ。 ひょんなことから三崎の網元と出合い、土産にヒコイワシをもらうが、実家が魚屋だったので、イワシは子供のころ、残り物で嫌になるほど食べさせられた記憶がある。

持って帰るのを遠慮したが、その場で酢洗いして生で食べろという。仕方なく「我慢をして口に入れたところ、これがあのイワシなのかと信じられなかった。魚も、鮮度が良ければこんなにうまいんだと、目から鱗が落ちた」思いをする。

以後、魚料理を求め、フランスにまで修業に行くことになるが、ここで新たに野菜の味の素晴らしさを思い知らされる。

魚料理で知られる「ラ・マレ」から三ツ星レストラン、さらに最後の押し掛け修業先のレストラン「ヴィヴァロア」でのペローオーナーシェフとの出合いだ。

ある日、キノコと野菜の盛り合わせに味付けは白ワインと塩だけ、ソースのないメニューが出た。

「とても野菜だけとは思えなかった。野菜のうま味を引き出した素晴らしい味」に感動、この感動を今に至っても飽くことなく追求し、素材を生かした田辺流料理法として打ち出している。

文   上田喜子

カメラ 岡安秀一

一九四九年、水戸市生まれ。小学五年生の時、体操の模範演技を見て、感動のあまり以後、中学、高校、大学と体操一筋の道を歩む。日体大では、オリンピック予選候補に上がりながら肩の故障で体操を諦めざるを得ず、一転してボクシングに転向する。全日本バンタム級六位までいくが、またもや身体の不調により選手生活を断念、一八〇度転換し、おでんの屋台を始める。二七歳の時だった。

その後、幾多の紆余曲折を経て本格的にフランス料理を目指すことになる。

常に世界に目を向け、また、生来の人一倍強い負けじ魂は、ついに日本に留まることなく本場フランス行きを決行させた。

持ち前の粘りと根性で「ラ・マレ」「エスペランス」などで修業のチャンスを掴む。三年間の修業を積み帰国後、銀座「ビストロ南蛮」、六本木「ル・ジャポン」などに勤め、四〇歳で「あ・た・ごおる」、続いて「ドウ・ブランシェ」そして現在の「ヌキテパ」をオープンさせる。

三〇歳という料理人としては遅いスタートながら、並外れた集中力と努力で運を切り開いた男は、さらに世界一を獲物に目を光らせている。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら

関連ワード: 味の素