トップインタビュー:老酒とともに50年 永昌源・寺内克夫会長に聞く

1998.12.07 167号 15面

ヘルシー志向を追い風にワインがブーム。体に良いとされる紹興酒は中華料理が定番だが、もっと大胆に和・洋・中への切り込みがあっていいのでは。そうした思いをこめ、日本で唯一、老酒メーカーである(株)永昌源の寺内克夫代表取締役会長に、外食産業に向けての今後の展開について聞いてみた。

‐‐日本で唯一の老酒メーカーとしてここまで普及されてきたが、創業はいつからでしょうか。

寺内 昭和23年が創業開始です。王子製紙は本業以外はやらないのが原則だったのですが、戦後、樺太、満州など海外の酒の工場が引き揚げ、縁あって従業員の方々を引き受けて、深谷に酒の工場をつくったのです。

当時は穀物統制令が敷かれていた時代でしたので、トウモロコシを使った焼酎「楊貴妃」を最初の酒として出しました。アルコールが貴重な時代背景もあり、たいへんおいしかったと記憶しております。

次が28年に、もち米をベースに麦麹を使って発酵させた老酒の醸造販売を始めました。日本で唯一の老酒メーカーの誕生でした。この老酒の販売は、横浜中華街をはじめ中華料理店から好評をいただきました。

続いて44年に、「杏露酒」の販売が始まりました。

このころ、田中・毛沢東会談により日中国交が回復し、中国から料理人がどんどん来日、併せて茅台酒や紹興酒などの中国酒も入ってきました。台湾紹興酒市場があるなか、必然的に大陸の酒が大きなシェアを占めるようになり、かつて私どもの日本での醸造老酒が一〇〇%占めていたのが、一〇%から一二%になり、非常に苦しい時期ではあったが、中国ブームにのり、徐々にシェアを戻していったようです。

‐‐老酒とはどんなお酒ですか。

寺内 もち米に麦麹を加え発酵させ、その発酵具合でこはく色の老酒が出来上がります。寒くなる2月ごろにかけて絞りが行われ、かめに詰められ眠りに入ります。二年、三年、四年と年月がたつほどに老酒はうま味を増します。

一番おいしいのは八年から一〇年物、と私どもの倉庫のかめにはもちろん、その年月のたった老酒が眠っています。

また一方では原料の研究もされています。コメの自由化を目前に控え、その先駆けとしてタイ米による老酒の製造も研究を始めております。そうした企業努力によって、中国産より品質も確かな、それでいて味も良く、しかも安いという永昌源の中国酒が市場に出回るのです。

‐‐中国酒といえば、中華料理ばかりでなく和食や洋食でもいいのでは。

寺内 近ごろでは、一流の料亭さんでも杏露酒を食前酒としてお出しいただいており、居酒屋さんなどでも、若い女性に人気の酒としてメニューに入れていただいています。

老酒においても、酔い覚めがすっきりして、二日酔いがしないお酒、としても人気が出てきているようです。

本物の味がジャンルを問わず受け入れられているのだと思います。

‐‐紹興酒(老酒)の本物の味わい方は。

寺内 日本人は燗酒が好きです。温めてうまくなるように酒をつくってきました。その意識が強いのか温めて飲む癖をつけてしまいました。

しかし、老酒は常温で飲むと、うま味をじっくり堪能することができます。また、私どもでは、貴醸老酒という冷やして飲む老酒も開発しました。飲み手の志向もいろいろ考え合わせた酒づくりも大切なことです。

しかし、ただうまい酒づくりでは片手落ちです。食事との相性も考えた酒づくりも肝心です。

どんなジャンルの料理にも相性の良い酒の開発、トレンドにあった商品の研究、そして本物志向から生まれる天然素材のみを最大限に使い、健康を十分意識した新たな商品の開発に邁進していきたいと考えております。

◆てらうち・かつお 昭和4年、栃木県生まれ。25年、横浜経済専門学校(現横浜国立大学)卒業後、王子製紙(株)入社。45年、北日本製紙(株)、安倍川製紙(株)に出向。56年、王子製紙(株)に復社。平成4年、(株)永昌源に代表取締役として就任。9年、代表取締役会長に就任、現在に至る。

学生時代からスポーツ万能で知られ、ラグビー、武道、登山など幅が広い。特に武道は剣道三段、柔道二段、弓道三段、空手二段、合計一〇段をもつ。ゴルフはハンディ一三。またたいへんな酒豪で過去最高は白酒二升。

◆(株)永昌源(東京都品川区西五反田七‐二五‐九、西五反田ESビル、Tel03・3491・6337)会社設立=昭和23年、資本金=九〇〇〇万円、年商=五五億円、代表取締役会長=寺内克夫、代表取締役社長=江田四朗、従業員=九〇人

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