麺・ご当地ラーメン徹底研究:東京ラーメン、惜しいが衰退の一途

1999.01.04 169号 13面

東京ラーメンの草分けは、明治43年に浅草公園に開店した「来々軒」である。中華料理店はそれ以前から存在していたが、庶民を対象として、ラーメン、ワンタン、シュウマイなどをメーンとした店はこれが初めてであった。

調理場では、南京町(今の中華街)から来た中国人のコックが腕をふるっていた。スープは鶏がら、豚骨に野菜でとり、麺は当初は引っ張ってのばす手打ちの拉麺。具は焼き豚にメンマと、きざみネギだけというシンプルなスタイルであった。昭和に入ったころから手打ち麺は次第に機械打ちへと変わっていったという。このスタイルが東京ラーメンの原形となる。

東京ラーメンといえば、すんだ醤油味スープに細く縮れた麺が泳ぐ。具にはチャーシュー、メンマをベースに、なるとや海苔やホウレンソウなどが組み合わされて添えられる。ネギは主として白い部分を使う。どこか郷愁をそそるスタイルが、東京ラーメンのイメージである。

中国料理の麺はストレートが基本。東京ラーメンもストレート麺を使っていたはずだが、いつしか縮れ麺が主流となる。麺が縮れることによってスープのからみが良くなり、チリチリとした独特の触感が生まれた。

そして戦後になると、スープに煮干しや節物類などの和風だしを加える店も増え、次第に中国の麺料理から日本のラーメンへと姿を変えてゆくことになる。醤油、縮れ麺、和風だしという三点が、中国の麺料理と日本のラーメンの違いを決定づける三要素であると考えられる。そしてその三要素を兼ね備えたラーメンが、東京ラーメンのイメージとラップする。

中国の麺文化が進化してラーメンとなったのは、まぎれもない事実だが、東京ラーメンには「ラーメンは日本の文化である」という主張が凝縮されているように思える。ラーメン店の数が年々増え続けている東京で、昔ながらの東京ラーメンを出してくれる店は逆に年々減ってきている。

現状では、東京ラーメンというと、屋台のラーメンもしくはそば屋のラーメンといった感すらある。昭和40年代のサッポロ味噌ラーメンブーム、昭和60年代から平成にかけての豚骨ブーム、そして昨今のご当地ラーメンブームで東京は、全国の味のラーメンが楽しめるラーメンパラダイスと化した。

行列店や人気ラーメン店のランキングを見ても、ご当地ラーメンが主力となっている。年々脂や辛さなど、インパクトを求める傾向が強くなっている中で、繊細な味わいの東京ラーメンを今一度見直して欲しいという思いである。

東京ラーメンの草分け、浅草来々軒は店を閉めて久しいが、現在でも千葉の稲毛で来々軒の末えいが「進来軒」という名で店を開き、昔ながらの東京ラーメンを出している。ちなみに全国に来々軒の屋号を銘打つ店は数多いが、登録商標をする前に広がってしまったためであり、来々軒の血を引く店は、進来軒以外にはもう存在していない。

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