シェフと60分 パレスホテル立川開業準備室総料理長・浅見和男氏
「街場のレストランでは、いろいろ流行を取り入れているようだが、格式ある伝統を守るホテルですから、盛り付け、素材に新しいものを取り入れるが、本質的には、伝統ある基本の味を守る」、師と仰ぐ田中徳三郎氏のフランス古典派料理を、10月オープンのパレスホテル立川でも受け継いで行く。
あくまでも伝統ある流れに大きな変化はないとしながら、「経団連会館に約七年いたので、その当時評判の良かった料理を、好評であれば加えたり、結婚式の料理、周年パーティ料理の盛り付け、色彩感覚面では、本社と違ったものを出したい」。淡々と語る中にも、内に秘めた意気込みが感じられる。
コックは、総勢七〇から七五人。本社、大宮、グランドパレスからの応援となるが、「段取りの違いはあるが、基本的にはパレスということで心配していない。チームワークも小人数なので、アットホームな雰囲気でやれる。今まで培って来た知識を最大限発揮できるよう努力したい、また、良い方向に行く自信があります」。
地域密着型、地元に愛されるホテルづくりを目指し、三鷹の東京シャモ、多摩地区の農家一〇軒と契約した肉屋から武蔵野牛とネーミングした牛、秋川渓谷の岩魚などを採り入れ「鉄板焼コースを考えており」、地元での食材開発に、労をいとわない。
野菜でも、「その日に入った野菜を何でも良いから」と言って、地元の有機栽培野菜業者から供給ルートをつけた。「これからも、手間を掛ける農家が育って行くかが問題だが、できたらこうした安全な野菜を召し上がってもらいたいため、フェアを組んで客を呼びたい」と、構想は、地元での集客化に結びつく。
法人需要の落ち込みから、個人需要の掘り起こしが画策されたが、「八王子の懐石料理屋に行きましたが、ほとんどが女性客。器とか盛り付けも女性好み。うちでも女性の客をターゲットに、企画との連携でいろいろなプランを出してみたい」と進取の気質をチラリ。
価格は、地域客層に合わせた設定が求められるが、「本社と同じ値段、材料が一番楽ですが、質は落とさずでの価格設定ですから、頭の痛いところ」だが、地元食材開発の腕が発揮できるところでもある。
厨房内は機械化で合理的に設計されている。火力は、基本はガス。宴会では、火力が三倍にもなる電磁が使用され、厨房内の電磁化は、焙り物などに問題ありとし、今後の課題という。
今は、ストーブに変わりすべてガステーブルだが、調理場の生命線だったストーブについては、さまざまの思い出があるという。
「東京会館に入った頃は、ストーブが石炭でした。相当早くから焚きつけないと、先輩が入った頃に使える状態にならない。交代で早番がありましたが、若いので早起きが苦手だった」。
修業時代は、まずストーブの焚きつけから始まった。
「ストーブは、かなり大きく七~八mの鉄板で、四ヵ所上から焚きつける穴があり、みかん箱を細かく裂き、組み合わせに、かなりコツが要ります。7時頃、先輩が出勤してストーブが使えないと怒られます。当時は怖い人がいっぱいいましたから」。
今では「コックももてはやされ花形の職業です。口うるさく怒鳴ると、若い人はすぐに辞めていきますが」と昔と今の教育の違いを一言添える。
幼い頃、神戸郊外の須磨に住んでいたが、街中の三宮までハイヤーですきやき屋に行ったという家庭環境。
また、父親が慶応大学の柔道部と相撲部のキャプテンで在籍七~八年の強わ者だったといい、東京会館や帝国ホテルによく行き、田中徳三郎さんや村上信夫さんなどとも面識があったという。
「結婚式の仲人が、師匠の田中徳三郎さんで、スピーチの時、父をよく知っていると言われびっくりしました」。
現パレスホテル総料理長の山下敏宏さんとは、東京会館のアルバイト時代に知り得た人。
こうした料理を通して結ばれた強い絆を大切に守ると同時に、長い伝統で貫かれている格式ある味を、「立川でも守っていきたい」という。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
昭和13年兵庫県・神戸の生まれ。子供の頃から母親と一緒に買物、台所仕事をするのが好きだったと述懐するほど根っからの料理好き。両親共々うまい物好きという環境もあり、アチコチ食べ歩き、料理の道にもスンナリ入る。
船橋高校在学中から夏・冬の休暇を東京会館でアルバイト。この時飲んだ黄色いカボチャのスープが、あのまずい代用食のカボチャで、こんなにおいしいものに変わるのかと痛く感激、ひそかにコックになろうと決心する。
卒業後、東京会館、レストランパレス、パレスホテル本社、経団連会館での勤務を経て、現在、パレスホテル立川開業準備室で総料理長として、開発準備に余念がない。