外食の潮流を読む(59)個性がはっきりとした「青ヶ島焼酎」を飲んで考えた飲食業の可能性
「青酎・あおちゅう」と呼ばれる青ヶ島の焼酎を飲む機会があった。生産地の青ヶ島は伊豆諸島の最南端の島で、東京から約360km、八丈島より70km南に位置している。青ヶ島に行くためには、まず東京から八丈島まで船便(約10時間20分)ないし、航空便(約55分)で行き、八丈島から青ヶ島までは船便(約3時間)ないし、ヘリコプター(約20分)で行くことになる。島の面積は5.96平方km、絶海の孤島である。
ここでいつから人が生活を始めるようになったか不明だが、歴史に現れるのは15世紀ごろからという。人口は現在約160~170人。二十式火山の独特な地形が注目されるようになり、近年は海外からの観光客も増えているという。
あおちゅうは元来、それぞれの家庭で「お母さん」が醸す自家醸造の芋焼酎で、日々、漁や畑仕事に精を出す「お父さん」の労をねぎらうためのものであった。島で取れる麦で麹を造り、芋は食用に適さないヘタの部分や極端に小さいものを活用していた。
前述した通り、青ヶ島は東京よりはるか遠く、交通も今ほど発達していなかったことから行政コストがかさむため、明治32(1899)年より酒税法で禁止された自家用酒の製造が事実上黙認されていた。1984年に10人の杜氏によって青ヶ島酒造合資会社が設立され、現在は青ヶ島酒造が製造元となり、8人の杜氏が12銘柄を製造している。そのうち「あおちゅう」にはラベルに「広江順子」「奥山直子」「広江マツ」など女性の名前が表記されているものがあるが、これは現・杜氏が先代杜氏である母親や妻をリスペクトして付けているものだ。
そもそも伊豆諸島に焼酎造りを伝えたのは江戸時代に八丈島へ流された薩摩商人である。自家用酒製造が禁止されて以降、商業化し技術改革を重ねた九州などの本格焼酎と異なり、自家用酒がベースだった青ヶ島の焼酎は、江戸時代から明治にかけての焼酎製法に近い。アルコール度数は30度か35度と、本格焼酎の中では高めである。
鹿児島大学農学部付属焼酎発酵学教育研究センターで分析したところ、一般的な芋焼酎は「甘く華やかな香り」、麦焼酎は「香ばしく甘酸っぱい香り」であるのに対し、青ヶ島焼酎は「青葉のような香り」のあおちゅう、「香ばしい香り」の青酎に大別された。また、一般的な芋焼酎と麦焼酎は香りの傾向が近似しているのに対して、青ヶ島焼酎は香りの傾向が大きくばらついている。これはあおちゅうの香りの個性が強くバリエーションが豊かな証しである。
酒類は希少性と個性が尊重される世界である。その点、「青酎・あおちゅう」は商品の背景にあるストーリーがとても豊かである。筆者はこれらの12種類を全て試飲して「野趣」を感じた。地元では塩蔵した魚をピリ辛のタレであえた塩辛と一緒に楽しむという。このような商品を発掘し、飲食店で扱うには高いプロデュース能力も必要とされるが、そうした飲食店が増えれば、飲食業界はより豊かな世界になっていくことであろう。
(フードフォーラム代表・千葉哲幸)
◆ちば・てつゆき=柴田書店「月刊食堂」、商業界「飲食店経営」の元編集長。現在、フードサービス・ジャーナリストとして、取材・執筆・セミナー活動を展開。