近代メニューのルーツ(2)焼き餃子編 神戸市・元祖ぎょうざ苑
中華でラーメン、チャーハンと並んでメニューに欠かせないのが餃子だ。そのルーツはもちろん中国にある。しかし焼き餃子は戦後、日本人が考案したものだ。今回は餃子をミソダレで食べるという独自性の強い神戸で、そのルーツを探ってみた。
餃子の起源には、中国・清朝の初代皇帝ヌルハチ(一五五九~一六二六年)にまつわる伝説がある。
ヌルハチがまだ皇帝になる前に放浪生活をしていたときのこと。彼が中国東北部の村で、村人を苦しめていた怪物を退治した。村の人たちはお祝いにその怪物の肉を刻んで、小麦粉の皮に包んでゆでて食べた。それが中国の餃子の始まりになったという。
日本に餃子が広まったのは戦後のこと。中国で餃子を食べていた引き揚げ者が普及したといわれる。一説には昭和22年に東京・渋谷駅前にできた引き揚げ者のマーケットが、日本の餃子発祥の地だといわれている。
最初は中国と同じ水餃子として伝わったが、ご飯のおかずになるように焼くという工夫が加わった。中国では餃子に使わないニンニクやニラなどの香味野菜を使うのも、戦後豚肉が手に入らないため羊肉を使うことが多く、その臭みをとるためだった。
焼き餃子は醤油とラー油で食べるイメージが強いが、神戸では、餃子をミソダレで食べる。神戸・南京町のなかにある「元祖ぎょうざ苑」が神戸における焼き餃子とミソダレの元祖だといわれている。
店の創業者・頃末芳雄(ころすえ・よしお)氏は岡山県出身。戦前は満州で日本人向けの日本食レストランを経営していた。戦後帰国し昭和26年、神戸の新開地に「ぎょうざ苑」を開業、水餃子やジャジャ麺をメニューに載せたという。その後元町に移転、さらに今の神戸市中央区に移った。当時は戦後の混乱期で、南京町もまだなく飲食店経営はかなり厳しかったそうだ。
ここの焼き餃子はあるとき、店の客から「水餃子ではご飯のおかずにならない」と言われたのをきっかけに、思いきって水餃子用の餃子を焼いて出したのが始まりだ。
この焼き餃子は中国で習い覚えた水餃子が基本だったので、ニンニクが入っていないさっぱりとした味だった。そこで日本人の口にあうようにと、餃子につけるミソダレを考案。これが客に大いに受けたという。
うわさを聞きつけて、ミソダレを採用する店が次々に増え、神戸で餃子にミソダレをつけて食べる習慣が広まった。
昭和40年代以降、神戸・南京町の発展とともに、そのほぼ中心にあるこの店も繁盛し、今では連日、元祖の味を求めて来る客で長い列ができるほどだ。
◆店舗メモ
元祖ぎょうざ苑/所在地=兵庫県神戸市中央区栄町通二‐八‐一一、電話078・331・4096/営業時間=午前11時45分~午後2時、5時~8時、月曜日定休/席数=四一席/主要メニュー=焼き餃子(七個三八〇円)、焼き餃子定食(五八〇円)、水餃子(六個三八〇円・夜のみ)、ジャジャ麺(五〇〇円)
◆店主のコメント 元祖ぎょうざ苑店長・頃末徹さん
当店は、おいしいものを安く提供するという創業者からのポリシーと、伝統的な製法を守って営業しています。餃子には、ニンニクを使っていません。あっさりとした味の餃子を、秘伝のミソダレにつけて食べていただくのが当店の自慢です。毎日、昼夜の営業時間内に売り切る分しか用意しませんから、いつも作りたての餃子を食べていただけます。ぜひ神戸の元祖焼き餃子とミソダレの味を堪能しに来てください。
◆一口メモ 餃子の町・宇都宮と双璧
栃木県・宇都宮市も餃子の町としてよく知られている。宇都宮には明治時代から帝国陸軍の第一四師団の駐屯地があり、中国東部に進駐することが多く、それにあわせて民間人の多くも中国に渡った。そうした人たちが戦後、中国の味をなつかしんで餃子を作り広めた。
◆この食材を愛用しています
○精製塩
餃子の皮生地にも、具材の味にも欠くことができないのが精製塩。塩化ナトリウム九九・五%と高純度ですから安心です。粒度もきめ細かく、サラサラしているので使い勝手もよいですね。置いておいても、固まることがなく、水に溶けやすいのも便利です。もう長いあいだ使っていますので、辛さと分量の加減が経験的に身についています。他の製品に替えることのできないものです。
・(財)塩事業センター(東京都港区赤坂一‐一二‐三二、電話03・5562・7724)
○日清サラダ油
日清のサラダ油は、大正13年に発売された日本のサラダ油の歴史そのものだと思います。当店でも長らく愛用しています。大豆と菜種油をあわせただけなので、くせがなく食材の味が生きるんですね。どんな炒め物にも安心して使えますが、とくにさっぱりした味が自慢の当店の餃子を焼くのには最適な油です。調理に使っているときに、煙があがるのが少ないのも魅力です。
・日清オイリオ(株)(東京都中央区新川一‐二三‐一、電話03・3206・5145)