地ビール旋風の立役者 ビールの第1人者マイケル・ジャクソンさんに会う
マイケル・ジャクソン氏は、アメリカや日本の地ビール運動、ミニ・ブルワリーのブームに火をつけた。英国の食文化・エールを守るCAMRA運動や、米国のホーム・ブルワリーズの顧問でもある。ビールやウイスキーの研究・著作で、世界的な第一人者として声望が高い。彼の著作には、邦訳された「地ビールの世界」や、「世界のウイスキー」がある。日本でも手に入る、英文の「ポケット・ビア・ブック」は、各国で二〇〇万部を数えるベスト・セラーとなった。ここには☆星から☆☆☆☆星まで、ランクされたビールだけが、日本を含め紹介されている。彼のドキュメンタリー・フィルム「ビア・ハンター」シリーズは、NHKを含め一〇ヵ国で放映された。この題名は世界的にヒットした映画「ディア・ハンター」の韻を踏んでいるようだ。昨年、旧交を温めたワイン界の権威、ヒュー・ジョンソン氏と並ぶ、酒のオーソリティーとの半日に及ぶ取材であった。
2月24日、ホテル・オークラで開催された、小西酒造(株)主催「地ビール・セミナー」の後、小西社長のご好意によりインタビューの機会をいただいた。ここに感謝の意を表したい。二時間三〇分のセミナー講演の間も、小西酒造が輸入するベルギー・ビールを、休みなく飲み続け「たっぷり飲めば、もう一人のマイケル・ジャクソンのように、歌って、踊るかもしれない」と聴衆を笑わせ、スライドで「ビア・キング・コンテスト」の、優勝者の姿を見ながら「私も大いに飲んでビール腹になり、今年のキングを目指したい」と会場を沸かせた。
セミナーが終わった後も引き続き、夜中まで東京の地ビールを探訪し、このインタビューの最中も、始終ビールを飲んで実力を証明してくれた。
彼の飲みっぷりは、その容姿と同じように豪快だが、何も食べずにひたすら飲む。昼はホテル・オークラで開催中の、ベルギー料理キャンペーンで、小西社長と食事をしたが、夕食は午後8時30分を回った頃、ようやく恵比寿ガーデン・プレースの「フェストブロイ」の席だった。ここでミート・アソートメントが出たがあまり食べない。「このアイスバインなら、いくら食べた後でも胃袋に収まる」と勧めたが、食後のデザートもコーヒーしかとらなかった。
まず「いつもパブでは何を食べるのか」と聞くと答えは「ビア」。「パブの名物、ミートローフは?」の問いにも、もじゃもじゃの髪と髭の顔を横に振る。「シャフツベリー通りの“スパイス・オブ・ライフ”があるね」、素直に首が縦に振られる。「ミュージカルを見る前に、そこでエールとミートローフを食べたが、他にも食べている人がいた」といっても、「なかには、そういう人もいるが、ふつうパブで食事はしない」という。
「ランチタイムになると、パブに集まるビジネスマンが、ビールと会話で時を過ごし、何も食べないのは見ている。でも夜なら何か食べるだろう」と食い下がると、マイケル氏いわく「パブはコミュニケーションの場だ。庶民の家は狭いから、友人が来てもパブへ行って飲む」という。
「夕食はビアだけか?」の追求に「パブで飲んでから食事にゆく」という。かねて「飲食」の調和と均衡を考え、個性的なビールと相性のいい、肴の組み合わせをぜひ聞きたかった。
そこで「日本ではサカナに二つ意味がある。一つは“フィッシュ”、もう一つは“フィット・フッド・フォー・ワイン”である」と、ナプキンに漢字で魚と肴を書き、一つは鮮魚、もう一つは酒の肴と説明する。
「日本語は一つの音に複数の文字があり、一つの文字に複数の音と意味がある。そこでサカナという音も、意味の異なる別の文字を使う」。これを聞いてマイケル氏は「これは面白い」と、そのナプキンをポケットに入れてしまった。結局、ビールはアペタイザー(食前酒)で、食べるための酒「ワインとは異なる」と考えているようだ。
「ビールの後で何を食べるのか?」と聞くと、「ロンドンには、インドやイタリア料理の店が多い。どちらも好きだ。自宅から半径一キロメートルの近くにも、二〇店のイタリア料理店がある」という。そこで「数年前、イタリアの本を出版したが、イタリアは地域ごとに、料理が違うと記した。イタリアの北部、中部、南部の、どの料理が好みか」と質問する。マイケル氏の答えは「フィレンツェでもローマでも、どの料理も口に合う」であった。
彼の食習慣の背景を知りたいと、生い立ちを聞くと「一〇〇年前に祖父が、リトアニアから英国に来た」という。先頃ロシアから独立した、バルト海のリトアニアである。彼の生まれ故郷は、ヨークシャーのリーズという。
「ヨークシャーなら、ヨーク・ハムの産地で有名だ。世界でもベスト・スリーといわれるが、実に素晴らしい風味だ」。この賛辞にマイケル氏も破顔一笑する。「いつもインタビューでは、何を食べているか訊ねるのだが」。この質問に「朝はベーグルとスモーク・サーモン。シーウイードも食べるが、これは日本人と似ているだろう」という。つまり海藻も食べるというのである。
だが海藻を食べる意外性よりも、主食のパンである「ベーグル」の方が、彼のバック・グラウンドを知るヒントになる。そこで、念のため「ああ、ベーグルとロックスね」とだめ押しする。この「ロックス」の一言で、彼は質問の意図を悟り「父方がユダヤ系なんだ」と答える。
ロックスとは、ユダヤ人がスモーク・サーモンを指す名で、彼の挙げた朝食は、幼時の影響によるものらしいが、かつてユダヤ人が各国に持ち込んだ食習慣である。
「イスラエルよりもユダヤ人が多い」ニューヨークは、ジュー・ヨークとも呼ばれるほどで、マンハッタンの街角には、ベーグル売りが多く見られる。「では日常の食事はコーシャか」と聞けば、「いやいまは全然、ノン・コーシャだ」という。
コーシャとはユダヤ教徒の厳しい食制で、やたら多くのタブーがある。
一例を挙げると、乳と肉を一緒に料理してはならない(乳は生を、肉は死を表すからである)。クリームを使ったり肉を調理する時は、鍋も別なら盛り皿も別と決められている。興味があれば、旧約聖書の申命記を読むと、その厳密さや凄さが分かるだろう。これを二〇〇〇年も守っている人もいる。
いまマイケル氏は、英国よりもアメリカでの活動が多い、そこで「ノン・コーシャだったら、ニューヨークでの食事も困らないね」と、最近のデリ事情の話になる。
かつてマンハッタンは「コーシャ・デリ」の発祥地だったが、いまはほとんどがノン・コーシャの店になってしまった。(本紙・平成7年9月25日号参照)ロンドンの高級百貨店・セルフリッジスでは、(KOSHER)と表示した、独立した売場があるが、意外にもニューヨークの百貨店には、独立したコーナーはない。アメリカの百貨店やスーパーの「コーシャ」は、ケースの一部を仕切って、KOSHERと表示する程度である。
世界中のビールの原料から、酵母にいたるまで詳細が分かり、かつ語り口も面白い「ポケット・ビア・ブック」には、ドイツ、ベルギー、イギリス、アメリカの、四地域のビール地図まで掲載されている。
その九六年版に署名してもらい、献辞を見るとKAMPAI! の文字があった。アジアの章では日本の紹介が多く、サントリーなど四社・二四銘柄が挙げられている。「日本では季節ごとに新製品が出るので、あなたが推薦するビールであっても、もう店頭に見られない物がある」というと、マイケルは大きく目を開いて驚きを表す。時間感覚が一〇〇年単位の欧州人の彼には、日本やアメリカの競争が、異質に映るのだろうか。
それより印象が強かったのは、「ミラーやバドは、かぎりなくミネラル・ウオーターに近い」と評する点である。いま小西酒造が輸入している、上面発酵でアルコール度の高い、ベルギー・ビールを推奨した、「ザ・グレート・ビアズ・オブ・ベルジウム」が想い起こされる。ジャーナリストだったマイケル氏は質問も多い。今回の来日にあたっても、小西社長の好意的な紹介で、地ビール・メーカーを取材している。
「明日はどこへゆくのか」と、聞くと、「北海道の小樽と女満別へ行く」という。「小樽は私の故郷だよ」と、ひときわ話がはずむ。小樽ビールもオホーツク・ビールも、世界的な名士を待っているだろう。
話題が日本のビールに移ったが、彼の評価の特徴は、どんなビールであれ、短所よりも長所を引き出して、豊かなボキャブラリーで語るところにある。九六年版には日本から、三社・八銘柄がランク・アップされた。サッポロの「オリジナル」☆↓☆☆、「エビス」☆☆↓☆☆☆、「バイセン」☆☆↓☆☆☆、「アルト」☆☆↓☆☆☆、アサヒの「スタウト」☆☆☆↓☆☆☆☆、キリンでは「ブラック・ビール」☆☆↓☆☆☆、「スプリング・ヴァレー」☆☆↓☆☆☆、「アルト」☆☆↓☆☆☆、などである。
マイケル氏は飲みながら、この恵比寿ガーデン・プレースの由来を質問してくる。もちろん彼は、エビスがサッポロの製品名と承知している。そこで幕末から明治の開国期に、米英人のビール会社が創設されたこと、国産のブルワリーが数多く生まれ、その後の合併や倒産の経緯を話し、品名のエビスが地名になった由来を話す。
彼が「サッポロの『冬物語』の由来を知っているか」とたずねるので「サッポロは北海道の街で、北海道はスノー・カントリーだからだろう」というと、「いや、あれはシェークスピアの、小説の『冬物語』に由来するのだ」と断言する。これは初耳で真偽は不明だが、この場に英国の文豪を引用して、英国人の誇りを最後に見せたのである。
(フードシステム研究所所長・田中千博)