海外日本食 成功の分水嶺(161)居酒屋「もりもり」〈上〉
●タイ人経営の“老舗”居酒屋
木製の引き戸に、銭湯を思わせるようなげた箱。一段上がったところに広がる板の間は、長年の手入れから黒光りし、どこか落ち着きを感じさせてくれる。そのような日本の和食店を思い起こさせる店がタイ・バンコクにある。2000年10月にオープンした居酒屋「もりもり」。まだ、数えるほどしか日本食店がなかったころから、日本企業の駐在員らが足しげく通った“老舗”の一店だ。
経営するのは、タイ人のパニダー・セジウさん(ニックネーム=モーさん)と弟のジラット・ジラセティクンさん(同リンさん)の姉弟ら。満2年後には、バンコクでも最長の部類に入る開店四半世紀を迎える。
もりもりには、実は姉妹店があった。その開店からさかのぼること11年も昔。1989年3月、現在のもりもりがあるスクンビット23の同じエリアに、1号店の居酒屋「げんき」はオープンした。歩いて10分ほどの至近。モーさんたちは毎日、両店を行き来して客対応に当たった。
開店当初、まだこの辺りは商店や人通りは少なく、飲食店もわずかに2軒を数えるだけだった。そんな中でも日本人駐在員らが足を運んでくれたのは、少しでも日本を思い出せてくれるから。肉じゃがに、ホウレンソウ炒め、湯豆腐、きんぴら、ニラ玉–。懐かしいおふくろの味で駐在員らは仕事の疲れを癒やした。
環境が変わったのは、2010年ごろになって日本からの出店が相次ぐようになってからだ。大型資本を背景としたチェーン店や、単品勝負の有名専門店。日本市場の熾烈な競争を勝ち抜いてきた強豪店の進出ラッシュに、危機感を募らせた。プロモーションを繰り返すなど客の引き留めや新規開拓にも励んだ。日本人などがよく集まる新興のエリアに、げんきの支店を出したこともあった。
そうした功もあって近年は、米国などの欧米人や所得の向上した中国人など新しい客層をつかむまでとなった。タイで暮らす駐在日本人客は以前より減ったものの、その分、コアな常連客が店を支えるようになった。「どうにかこうにか、やっていけるまでに体制は整った」とモーさんは振り返る。
だが、危機は再び訪れた。新型コロナウイルスの感染拡大である。政府は全土の都市封鎖(ロックダウン)を指示し、飲食店は軒並み休業に追い込まれた。一般的な飲食店なら持ち帰り(テークアウト)などへの業態変更も可能だったろうが、夜間営業を前提とした居酒屋でそれは難しい。事態は極めて深刻だった。
この時、同時に表面化したのが、げんきが入居する不動産物件の更新問題だった。更新を機に家賃が値上げされることはバンコクではよくあることだ。資金に余裕があれば、交渉の余地もあったかもしれない。だが、ロックダウンで傷ついた経営にその余力はなかった。こうしてコロナ禍真っただ中の21年5月、居酒屋げんきは惜しまれて23年間の歴史に静かにピリオドを打った。
姉妹店合わせて「元気もりもり」。日本の文化や日本食が大好きなモーさん姉弟が、日本人駐在員向けに「元気もりもりになって仕事に頑張ってほしい」と名付けて始めた店だ。現在は、もりもりだけしかなくなったが、思いは今も変わらない。「いらっしゃいませー」。今日も、モーさんたちの元気な声が響いている。(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)