百歳さんこんにちは:大阪府・横田英子さん(99歳)
大阪府茨木市の「サンフラワー南春日丘」に入居している横田英子(よこた・ひでこ)さん(99歳)は、車椅子に頼る生活だが、隣接する介護老人保健施設「ひまわり」で週に3日リハビリを受け、介護度が4から2に回復。充実した毎日を送っている。
●大病も経験、99歳まで生きてこられるとは…
英子さんは1913(大正2)年1月9日に東京で生まれた。5人姉妹の3女で、「子どもの頃は家にじっとしていられないおてんばでした。幼い時に兵庫県西宮に移り住み、毎日のように甲子園の海で泳いだり、磯遊びをしていました」と昔を懐かしむ。
長男の勝彦さん(77歳)によると「文学少女のようなところもあったようです」。高等女学校(現大手前高等学校)時代から読書が好きで、「戦中・戦後の耐乏生活から落ち着きを取り戻してからは俳句を始めました」(英子さん)という経歴があるからだ。
結婚したのは昭和9年、英子さん21歳の時。「戦時は大変な窮乏生活でした。羽織や振り袖を闇屋に売り、食糧に換えました」という。
健康面でも波乱があった。「10年前に脳腫瘍で倒れ手術を受けました。その1年後には心筋梗塞を患い、心不全を2回も起こしました。99歳まで生きてこられるとは思いもしませんでした」と感慨を込めてふり返る。白内障も患ったが、15年前に手術を受け、今は眼鏡なしで新聞を読む。
◆山口誓子の指導を受け俳句づくりに励む
俳句は戦後になって本格的に勉強を始めた。正岡子規の門下生、高浜虚子の弟子である山口誓子の指導を直接、受けている。“山焼の 火の筋山の 血脈よ”の一句は、24歳の時に友人と奈良県の若草山に出かけたときの作句で、山口誓子から「すぐれている」とほめられたという。
趣味は多彩だ。日本画は「NHKの教室に通い高名な先生に習いました」。俳句と同様、目に映る自然を題材にしている。
デイ・サービスではピアノを弾いて楽しむ。子どもの頃に父親から買ってもらったドイツ製のピアノで弾いた童謡を、思い出しながら弾いている。勝彦さんは「曲のレパートリーが増えています。母にとってはいいリハビリになっていると思います」と、英子さんの弾く曲に耳を傾ける。
英子さんが今、楽しみにしているのは、朝日新聞の「be」(毎週土曜日発行)に連載されている聖路加国際病院の日野原重明理事長の随筆を読むこと。「日野原先生は100歳の今も趣味が多いだけでなく、ボランティア活動にも精力的に取り組まれ、人々に勇気を与えていらっしゃる。随筆に感動して手紙を送らせていただきましたら、直筆のお返事をいただき感銘を受けました」と目を潤ませる。
◆肉は控えめ、野菜・魚を中心に
健康維持のため、食事では肉類は控え目にして、野菜、魚を中心にゆっくり時間をかけて食べる。好物は刺身。施設で月に2回出されるご馳走が楽しみだ。
何度も大病を経験していながら脅威的な生命力を持つ英子さんは、趣味を持つことの大切さを証明している。
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