タイの飲食屋台 政争で消滅の危機

外食 ニュース 2022.11.28 12499号 04面
かつてあったバンコク・スクンビット通りソイ38の屋台街。立ち退きにより大半が姿を消した=2015年6月小堀写す

かつてあったバンコク・スクンビット通りソイ38の屋台街。立ち退きにより大半が姿を消した=2015年6月小堀写す

タイ・バンコクの貴重な観光資源にもなってきた屋台営業の飲食店が危機にひんしている。直接のきっかけは政府が進めた街の美化政策で、次々と立ち退きが進んだためだ。現在も営業を続けるエリアは10年前に比べわずか4分の1以下に。さらには今年5月の都知事選挙で当選したチャチャート新知事が、屋台営業を都が指定する場所に集約すると唐突に打ち出したことから混乱に拍車がかかっている。それだけはない。これらの動きは2023年5月までに予定される下院総選挙とも密接に関係しているというのだから、屋台店主らにとっては迷惑千万といったところだ。多くの観光客も慣れ親しんだ屋台営業の行方は–。

バンコクにあるスクンビット通りソイ38の一角。かつてはここに、数十店の屋台が立ち並ぶエリアがあった。夜な夜な帰宅途中の労働者や若者らがここを訪れ、好きなつまみにビールやタイウイスキーなどで人生談義を交わしていた。ところが、14年のクーデターで政権を奪取した軍政が中心となって街の「美化」を進めた結果、多くの屋台は立ち退きを余儀なくされ、10年代初めに都内で約800ヵ所あった営業エリアは昨年末には200を切るまでとなった。

撤去を求めた軍政の表向きの理由は安全面と衛生面。公道を占有するため危険が多く、汚水や食べ残しが街を汚すというものだ。だが、屋台の大半は自主的な組合を作って占有を少なくし、営業後の清掃には十分な念の入れようだ。ソイ38で蒸し鶏肉料理のカオマンガイを提供していたサマックさん(54)も「足元を救われないよう、十二分に気をつけていた」と当時を振り返る。

地元メディアの解説によれば、軍政が屋台を目の敵にした本当の理由は、人生談義に火がつき政権批判につながるのを恐れてのこととされるが、政府も都も一切コメントしていない。だが、プラユット政権に対する反政府運動の広がりと屋台の立ち退きはほぼ時期を一にしており、あながち的外れとも言い難い。かつて軍事独裁を強化しようとしたサリット政権が、市民が利用する人力三輪タクシーと路面電車をバンコクから締め出したのも街の美化が理由だった。

さらに波紋を広げたのが、就任したばかりのチャチャート知事が屋台の「ホーカーセンター」構想を突然打ち出したことだった。ホーカーセンターとは屋台などが集まるシンガポールの野外型施設で、観光スポットとなっている。これをタイにも導入しようという計画なのだが、都が設置を見込むのは高速道路の高架下など立地に疑問符がつく場所が少なくない。このため、屋台店主や利用客からは別の意図によるものという不満と不信が高まっている。

チャチャート知事は、軍政が対立してきたタクシン元首相派タイ貢献党の元幹部。インラック政権では運輸相を務め、クーデター時には1週間も身柄を拘束されたことがある。ところが、都知事選では一転して無所属で出馬。その後も政党色を薄め、屋台営業については軍政が勅令で任命したアサウィン前知事の路線を事実上踏襲する姿勢を示している。このため野党からは、屋台規制はプラユット後を狙っての政治行動と関係があるといううがった見方が出ている。

一方のプラユット首相の任期は、最長で25年4月までという判断がタイの憲法裁判所によって出されている。まずは来年3月までに行われる下院総選挙の結果いかんにかかっている。中央政界復帰の野望を胸に抱くチャチャート知事と後継者不在とされる現プラユット政権。さらには選挙によって政権奪取を目指すタイ貢献党。さまざまな権力争いのはざまで、タイの屋台営業は翻弄(ほんろう)され続けている。

(バンコク=ジャーナリスト・小堀晋一)

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