忘れられぬ味(5) 伊藤忠食品会長・富江幸吉 ご機嫌の卵焼き

総合 統計・分析 1997.10.08 8274号 2面

戸塚文子さんの“旅と味”に「古い文化を懐くところ、料理はこよなく発達する。長い歴史を通じて、国の中心であった関西に、味覚が発達しないはずがない。ただ面白いことに、その発展に二つの流れがある。繊細巧緻、芸術の域に入る貴族的な京風の食味と、安くてうまい食い気第一の“めし”の大阪の、庶民的な“食いだおれ”の快味と」という一節がある。まさに言い得て妙である。素材の良さを活かした料理、食べ物はやはり関西に分があるように思われる。

「吉兆」「つる家」など、一流料亭の素敵な器に季節感よろしく奇麗に盛られ、しかも味だけでなく色彩感覚をも十分に楽しませてくれる見事な料理はもちろん結構だが、最近ではくつろげる家庭の夕餉が何よりも良くなってきている。

家庭料理といえば、小さい頃から卵焼きが好きだった。母が生前「この子はやりやすい。卵さえあればご機嫌なんだから」とよく言っていたのを思い出す。顔を見てからでも手早く作れるとは言うものの、簡単そうで意外に奥が深いようだ。鮨屋でも玉を注文すれば分かると言われるほどで、塩と砂糖との按配具合、焼き加減が難しい。固からず軟らかからず。母の味が妻に受け継がれているのは私にとって大いに幸せである。

うどんは関西、そばは江戸、と言われるが、もともと甲州から江戸時代初期の頃に入ってきた“そば”はすっかり江戸の文化に馴染んでいる。私は東京泊りの夜、約束のない時は、しばしば一人で神田の薮を訪れる。大阪と違い蕎麦屋で紳士・淑女が酒を飲んでおり、それが雰囲気に合い、少しも違和感がない。そばのこねかた、のしかた、ゆで加減、いいつゆ、と申し分ない。それに帳場に立つ女主人のやや高い澄んだ艶のある、長く尾を引く声に送られ、何時も満ち足りたような気持ちで帰路につくのが常である。

いずれにせよ“食いだおれ”の大阪に住む私としては、これからも舌先三寸・喉もと過ぎれば何とやらと言われる食の探求に、励みたいと思っている。

(伊藤忠食品(株)会長)

日本食糧新聞の第8274号(1997年10月8日付)の紙面

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