忘れられぬ味(21) 大関社長・長部文治郎 古今東西天下の美味

総合 統計・分析 1997.12.05 8300号 2面

(序論)よく考えてみれば、「忘れられぬ味」というのは一体どんな味であったのか全く判らないというのが本音である。

そもそも「味」を旨いとか不味いとかいうことで納得することは、誠に簡単で、無責任である。「味」は人間の体では、口の中にその食物が入った瞬間の感覚だから、次の瞬間には記憶が遠ざかるものであって、ましてや、その味を言語や活字で表現するなどということは、これほど難しいことはない。従って「忘れられぬ味」となると、その時の、その場の雰囲気などによって千差万別に変化する。

ビールの味は本当は「コクがあるのにキレがある」味ではなくて、カンカン照りのゴルフの後で、グイッと冷えた生ビールをコップ一杯喉で感ずるのが、ビールの「忘れられぬ味」である。日本酒となると、甘酸辛苦渋(カン・サン・シン・ク・ジュウ)の五味がまったりと溶け合って、口中穏やかな香りと濃醇で丸味のある、まろやかな滑らかさとふくよかさが交差する余韻が心地よい。というわけで、ましてや、その中の「忘れられぬ味」を文章で表現することほど難しいことはない。要するに「忘れられぬ味」とは「筆舌に尽くし難いもの」なのであろう。

「忘れられぬ味」(その一)古代ローマ帝国の宮廷における夜の饗宴については、数多くの歴史家や諷刺詩人の記録に書かれている如く、グルメがすでに存在している。グルメは古代ギリシャの頃からエピキュリアン(Epicurean)美食哲学としてあったらしいが、古代ローマのクラウディウス帝の頃の贅沢な料理に、遠い海でとれた鯔(ボラ=ムルルス)とか、孔雀の料理とか、紅鶴(ポイニコプテルス)の舌や蝶鮫の料理など、珍奇な食物がもてはやされた話がある。(弓削達著「ローマはなぜ滅んだか」より)このような珍奇な食物ということなら、私にも「忘れられぬ味」がないことはない。

日本酒のメッカ灘五郷酒造家の旅行とグルメと勉強の同好会に「灘二八会」というのがある。この会で一九七〇年の6月に揃ってグアム島に旅したことがある。今にして思えばその頃はまだ横井さんが「恥ずかしながら」島の奥におられたのだろうが、そこで私たちが所望したグアム島最高の料理は、なんとこの島の果食性大蝙蝠(コウモリ)である。前の日から注文をしておいて一匹五〇ドルを支払い、次の日の昼食の食卓に上がるのだが、ココナッツ(椰子の実)をくり抜いて、その中に蝙蝠を入れ、蒸し焼きにする。味は鶏と言うよりも蛙の脚と言ったところで、あっさりしている。しかし黒い大きな翼は毛むくじゃらでさすがに手が出ない。それをグアム島の料理人は、これほどのご馳走はないとばかりにムシャムシャとうまそうに食べてしまったのだが、これは本当に美味しいのか、今にして思えば残念なことをした。

「忘れられぬ味」(その二)古代ローマの珍奇な味に付き合うのもこれくらいにして、もう少し真面目な味の話をすることにする。

中国では食は広東にありというが、日本料理では、長らくあちこちで食べ歩いた結果、やはり関西料理、大阪の料理が一番だと思う。中でも大阪高麗橋「吉兆」の料理は、値段は別にして天下一品、さすが食い道楽の都である。吉兆の料理は吉兆自前の山や畑から材料を前日に運び込む。とにかく新鮮であること(鮮)。第二に料理の準備と出汁に手間をかける(味)。第三に器を選ぶ(視)。第四に客の目の前で煮炊きをする(香)。第五に室内の趣(風格)。これだけの条件を揃えると「忘れられぬ味」となる。東京ではなかなかこれだけの味にお目にかからないが…。

「忘れられぬ味」(その三)それでも、東京築地の「田村」などは素晴らしいし、私がよく通う銀座一丁目の関西料理「金兵衛」は「忘れられぬ味」を出してくれる。ここは東京であまり見かけない「粕汁」を寒い冬の二月にだけ作ってくれるのが嬉しい。この粕汁の原料の酒粕が、わが清酒大関の吟醸粕であるのがなお嬉しい。それに季節の筍や鮎や蟹や牡蛎が食卓に上がってくるのが楽しいのである。お酒が竹の筒に入って出てきたりすると、雰囲気は最高となる。

「忘れられぬ味」(その四)最後に、やや鼻の下の長い話をして終わりにさせていただく。

うちの奥さんは、料理にうるさい。味もさることながら、私たちは料理が出来上がる前に食卓につかないと「食事ですよ!食卓につきなさい!」と大声で叫ぶ。その間に彼女は天ぷらを揚げて皿に盛るのである。だから、揚げ立ての天ぷらを食べることになる。これで食事が不味いはずがない。やはり、結局は食物は新鮮なものが美味しいということになる。新鮮なものこそ「忘れられぬ味」であろうか。

どうも失礼しました。(大関(株)社長)

日本食糧新聞の第8300号(1997年12月05日付)の紙面

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