忘れられぬ味(74)ユキワ・中野勘治社長「“玄海”のふぐ」

卸・商社 連載 2001.11.02 8922号 2面

四〇年の食品メーカーでの勤務の中で、その大半を何らかの形で商品開発に携わってきた。ふり返ってみると商品開発の基本姿勢を学んだのは、三五歳からスタートした関西での六年半であったと思う。

二度目の関西勤務を命ぜられ公私ともに張り切っていた私は、この任期中に関西のうまい物を極めてやろうと心していた。

おかげでグルメな友人、知人にも恵まれ、随分食べ歩きもし、数々の名店の味を味わうこともできた。その意味で忘れられぬ味として、上は高麗橋の「吉兆」「〓皮」のステーキから始まり、屋台のたこ焼きまで数多くある。しかしこの季節となると二度と味わえぬ名店として、今はなき「玄海」大谷広さんのふぐの味を思い出さざるを得ない。

その店は心斎橋にあり、大丸とそごうの間を入った二〇坪足らずの凛とした気品を漂わせた店であった。

この店で初めてふぐのコースを食べた感激は、今もしっかり舌に記憶している。

肉厚のてっさが、かぼす風味のぽん酢に良く合う、京都石野の白味噌仕立てのてっちりは、いくら煮立てても煮詰まらない。その後頂く飯炊きばあさんが薪で炊いたごはんでの雑炊の味も格別だ。極めつけはカリッと揚がった唐揚げに白子の焼き物、今思い出してもゾクゾクする。

彼とは妙に馬が合い、亡くなるまで丹波篠山に豆腐を食べに行ったり、「たる源」や「清水」に器を求めに行くお伴をしたりと本物の味を表現するため、常日頃の花板さんの精進ぶりを目の当たりにすることができた。

この店のファンに、松下幸之助さんや世界的名チェリストのランパルさんなどがおられたこともうなずける。

思い出尽きぬ関西勤務の後、今6月退任するまで、商品開発のリーダーの任に就いていた。この間、本物の味は何かを先ず確認することから、開発作業に入ることをルールとして頑なに守ってきた。

優れたスタッフにも恵まれ、おかげさまで数々のヒット商品を生み出すことができた。

本物を求め続けた大谷さんとの出会いに感謝せざるを得ない。

((株)ユキワ代表取締役社長)

日本食糧新聞の第8922号(2001年11月2日付)の紙面

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