シェフと60分:フランス料理「オーベルジュ」オーナーシェフ・音羽和紀氏

1996.08.05 106号 7面

「自分が住んでいる町に自慢できるものがないのは情けない」と言う。

フランスに暮らし、食に携わる仕事を介し知り得たフランス人気質。

「彼らが誇らしげに自分の町を語り、伝統を重んじながら新しいものも積極的に取り入れている姿」に接して、彼らに負けないほどに故郷の誇りを表したくなる要求に駆られた。

海外に出て、初めて見つめなおした自らが育った故郷。

帰国後のレストラン展開は、平凡で何もない町でも何か訴えるものがあるのではないかという模索から始めたもの。

地方文化へ食を通して「香りづけ、意識づけし、みんなが楽しめるステージ作りにしたい」という。

かしこまったものだけがフランス料理ではない。フランス料理を幅広く知って欲しい、定着させたいという思いは強い。

かつて見て、味わってきた経験からフランス料理をさまざまにアレンジできる可能性を信じ、自分なりの形で表現する。

「フレンチの表現法はいろいろあるが、需要面に難色」、中央と異なる地方のハンディを噛みしめながらも「なじみの食材を使い、難しいものではなくわかりやすいメニュー」を、リーズナブルな価格で提供したいという。

今では、宇都宮にフランス料理を広めたシェフとして評価され、地元の住民から温かい応援の言葉が送られている。

「お客と設備、それにわれわれのチームワークのからみで店はできあがる」

自分一人で頑張れるものではない。長い時間がかかり、一喜一憂しても始まらない。

「長いスタンスで無理なくマイペースでやっていきたい」と腰を据えての取り組みだ。

地元の特産物をおいしく食べさせる役割の一端は料理人にもある。

月替わりの「栃の郷メニュー」では、積極的に栃木産品を使いアピールする。

例えば、フランス風に栃木の干瓢を使う。玉ネギと合わせてバターでソテーし、少量の砂糖とコショウで味付けした後、カモの脂っこい肉と合わせたカモ料理。

また、ありふれたダイコンなども「この栃木ではこんなにうまいぞ」という表現でメニュー化する。

また、農家への働きかけとして、桃の幼果を摘果したものをピクルスにしたり、地鶏やハーブの商品化などにも使用者としてのアドバイスをする。こうした商品は、自らのレストランで新作発表の場として提供する。

一方、生産者にも「自分達の作ったものがどこに売られ、どういう風に食べられているか」関心を持って欲しいという。「ヨーロッパで常々感心するのが地元を誇る心意気」

特産物の季節には、市場からレストランに至るまで産物であふれ、「みんなが、この産物がどんなにおいしいか、どうすればもっとおいしくなるか」を語る熱気で活気づく。

これほどまでいかなくても、作り手、使い手、食べ手が連携し、地元で誇れるものを作っていくことが、「いずれは郷土の文化を築き上げることにつながる」と信じる。

それには、人が多く集まる「食の場」であるレストランは、格好の作品発表の場。もっと有効に活用されてもいいのではないだろうか。

五五歳までに「自分が料理人として取り仕切れる店」を持つのが夢である。かつて修業したフランスで見掛けたオーベルジュ。広い庭を持つ館風のレストランは非日常の環境を提供する場だ。

地域の人が負担を感じずに十分に来られるプライスゾーンで、ランチ五〇〇〇円、ディナー一万円を目安にしている。

フランスのミニ版やコピーではなく、日本のこの土地と触れ合いながら、「地域性を生かした店づくり」を狙う。

そっくりそのままの物まねならすぐできる。また資金的にも他人の援助を得れば可能なことだが、店づくりに対する自分の理想の実現、地域を大事にするには「自分たちの力でやるしかない」との信念を持つ。前途は多難である。

今は店舗にもその店独自のキャラクターが要求されている時代。全国統一では面白くない。テコ入れをしなければならない時が来ているのではないだろうか。

「その土地ならではの地域性を押し出した店も、あるバランスとして数軒必要かと思う」

受け入れられるかどうか未知数ながら「健全・健康な私が信念を持って提案すれば、真っ当な答えが返ってくる」と確信する。

文   上田喜子

カメラ 岡安秀一

一九四七年宇都宮市生まれ。高校後半の頃から食べること作ることが好きで、進路は料理の道と決める。

大学卒業後、料理は「どうしてもフランス」とのこだわりがあったが、たまたまドイツへのルートをつかみ渡航。遅めのスタートのため「人の倍やるしかない」という強い決意での出発だった。

ドイツで二、三年修業のつもりが「どうしてもフランス」で勉強する夢が捨てきれなかった。またフランス料理を学ぶには厳しさ、質の高さから「どうしてもアラン・シャペル」という思いがつのり、ついにあの手この手の工作と熱意が通じ、アラン・シャペルのもとで働く幸運をつかむ。

結果として約八年の修業生活を終え帰国、生まれ故郷の宇都宮独自の伝統や食文化を存続させ、考える場としてレストラン「オーベルジュ」を展開する。

現在、地域への働きかけとして、地元高校調理科生徒をフランスのホテル・学校研修に引率したり、日仏交流のディナーショーを開催するなど、食を介して「どうしても宇都宮」にこだわる姿勢を崩さない。

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