シェフと60分 ラ・ビュット・ボワゼ オーナーシェフ・森重 正浩氏
レストランに入り、食べたり飲んだりした後、必ずお世話になるのがお手洗い。昔はご不浄といったくらい汚いものとして家屋の隅に押しやられていた。
「レストランでは、口から入る快楽には気を遣いながら、排泄という下からの快楽を疎かにする嫌いがある」
そもそもレストランは、男が女を口説く場所。別々の個室で身支度をする場所でもあるだけに「お手洗いを一番良い場所に置きました」という。
二年前、自宅の日本家屋を生かし、レストラン「ラ・ビュット・ボワゼ」(翻訳すれば、小高い丘にある樹木で囲われたレストラン)をオープンさせた時、今まであった陽当たりの良い応接間を、思いきってお手洗いに変えた。
結果は、入る人入る人みんなが感嘆の声を上げ、居心地の良さから長居をし、ついにはウエーティングになったほど。
ただ、生来の凝り性から「庭の緑を味わってもらいたく、窓を大きく開けたところ、苦情が出て、仕方なく目隠しのカーテンをつけました」と残念がる。
まだここまで開放感を求める客はいないようだ。
日本古来の野草を料理に大胆に取り入れるのが森重流フランス料理。
何の変哲もないタンポポはサラダに、ハコベは潰して苦みを効かしたソースに、ツルムラサキは独特の色合いを生かしたデザートにと次々メニュー化する。
こうした発想の原点は、かつてフランスに渡り料理修業中、マルク・ヴェイラシェフに出会ったことにある。
彼は週二回、コックは勿論、支配人、ソムリエ、サービスマンすべてのスタッフを連れて山に入り、「この野草は、昔おばあちゃんが風邪の時スープに入れてくれたんだ」などと、一つ一つ丁寧に教えていた。
こうした自然に対する彼の真摯な姿を見て、「いつか日本に帰ったら、同じやり方をしたい」という思いがつのる。
フランス料理レストランの食材は、トリュフやフォアグラなど高級食材がどんどん使われ、山野草がメニューに組み込まれるなど想像もしなかったという。
今では、自らスタッフを連れ野草狩り、キノコ狩りをし、持ち帰ってはメニューに乗せ「今日のこの突き合わせの野菜は、私が〇〇山の尾根で採ったものですよ」と、お客との話題作りにしている。
「レストランは、最初の三秒、最後の三秒が勝負」という。
最初の三秒は、客が入った時「ご予約の〇〇様ですね。お待ちしておりました」と笑顔で挨拶をするこの一瞬の印象で決まる。
最後の三秒は、お客がレストランから一歩外に出た時、「もう一度来よう、今度は誰と来ようか」と思わせるかどうかで勝ち負けが決まる。
お客が帰り「これで終わったと思ったら負け」というわけだ。
客へのもてなしの気持ちは料理の味だけではなく、店内の雰囲気、サービスの仕方などトータルでどうまとめるかが要。
梅、桜、新緑、紅葉で四季を感じさせる庭の樹々、雪も降る冬になると、メニューに目を通す前に、まず熱い赤ワインに少々の砂糖を入れた食前酒でもてなし「気持ちもゆったりしたところで、メニューを決めてもらいます」
「うちでは週三回、三島の農家からハーブや有機野菜を入れているが、時々店に来て実際に食べてもらっています」
生産者は、ただ作るだけでなく、自分たちが作っているものが、どう料理されどう売られているかを知る。それが感激とともに励みとなり、次はどんな野菜を作ろうかという意欲が湧いてくる。
「自分でフランスから種を取り寄せ試作したり、新しい野菜を持ってきて食べてみてくれ、こうした食べ方はどうかなどといってくる」
生産者が厨房の中に踏み込めるのも、自分たちが作った野菜がどう料理され食べられているかを知っているからできること。
逆に料理の作り手、売り手も「生産者の畑に出掛けて、現場を見るべき」が持論。
時間が許す限りスタッフと三島の生産者の畑を訪ね、野菜がどう作られているかを「自分の目で見させます」
料理人は丹精込めて作られた野菜に触れ、ダイコン、カブ一つでも大事にするようになり、売り手も「この野菜はどこで、どうして育ち、どう料理されたかを物語ることができ、自信をもって勧めています」
野菜を提供する人、それを料理する人、またその料理を売る人は三位一体の関係にある。つまり、お互いが良い関係にあってこそおいしい料理に行き着くわけだ。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
一九六一年、広島県生まれ。子供のころは、松茸シーズンになると、毎朝早く父親と犬とで松茸狩りを、また、タケノコの季節にはタケノコ掘りをしてからの登校だった。
畑には季節の野菜が絶えることなく、夏の朝露のかかったトマトをもぎ取って食べた味は、今でも忘れられないという。こうした少年時代の自然環境が、現在の山野草を生かす料理人としての原点となったようだ。
服部栄養専門学校卒業後、フランス、イタリアのレストランで五年間修業、帰国後、箱根「オー・ミラドー」、小田原「ステラ・マリス」を経て、二年前から念願の丘の上にある、樹々に囲まれた現在の店をオープン、現在に至る。