地酒に恋した男 「たけくま酒店」宮川日佐夫店長に聞く 人気酒一辺倒では寂しい
――地酒の販売だけでなく、飲食店へいろいろアドバイスをされている宮川さんですが、そもそも地酒との出合いは何だったのでしょうか。
宮川 山の仲間たちと上越にスキーに行ったのですが、その時八海山の大吟醸を飲むチャンスがあり、あまりのうまさに虜となり、以後地酒を求めて新潟通いとなりました。
――それほどに惚れ込まれた地酒ですが、最近は横並び傾向が強ってきた。もっと特徴ある酒があってもよい、また、そうした酒をデビューさせたいですね。
宮川 これは全国的な傾向ですが、値段の高い大吟醸クラスになると、前年の品評会で入賞したものに合わせようとするから特徴がなくなる。
酒の良いものが認められるようになったのはここ一〇年。まだほんの入り口にあり、人気酒一辺倒になり勝ち。もっと一人ひとりがいろいろな楽しみを持って良いし、これをうまく案内するのが飲食店だと思います。
――酒販店の立場から飲食店にアドバイスをしていらっしゃるようですが。
宮川 酒を運ぶうちに飲食店が自分の店のように思え、気になることをいっているうちにアドバイザーになってしまいました。
――具体的にはどんな相談があるのでしょうか。
宮川 酒を一杯いくらで売るのか困っている人がいる。そんなに難しい計算ではない。一升でいくら儲けたいかを頭に描いて計算すればいいのです。客単価が欲しいのか、客数が欲しいのかでおのずと答えが出てきます。
提供の仕方も、今では一般的になってきた二毛作の考え方があります。そば屋の場合、昼間は外に日除けを出し、夜は垂れ幕を出すことで居酒屋の雰囲気を演出できる。
皆さん、店のイメージを変えるにはお金がかかると決め込んでいますが、特別な店舗改装の必要はない。紙と知恵と布を使えばお金をかけなくてもできるのです。
例えば、日本酒はお酒が痛むのでボトルキープはできないが、お客の名前を覚えるきっかけにもなるようお猪口をキープするアイデアも提案しています。
――どんな人が相談に来ますか。
宮川 ただ何となく居酒屋をやっているとか、若い人が入ったので元気を出してやっていきたいとかさまざまです。だいたい三〇代が多いですね。
いろいろな事例を見て思うことは、少しでも売上げを上げようと思ったら、新しい感覚を思いっきり取り上げることも必要だということです。
何も白からいきなり黒に変えるのではなく、前の形を残しながら新しい試みを実験的にやってみるのです。駄目なら止めればいいんですから。
世の中が七%ずつ変化していけば、一〇年間目をつむって目を開ければ大きく変わっている計算になります。七%は頭の中を改造しないとついていけません。そういう意味では若い人が成功していますね。
――お客の半歩先を行くとよくいってらっしゃいますが。
宮川 お客が理解しないのに前に進み過ぎてはいけないということです。
私自身、生酒は発酵のおいしさが楽しめるが、半年、一年と熟成した酒は、きめ細やかで、どんな料理にも合い、おかんにも合うという意見を持っています。
こうした話を品揃えしながら、少しずつ飲食店に伝えていく。緩やかに半歩ずつお客を指導していくのです。行き過ぎては、うるさいということになる。
めし屋と飲食店は基本的に違う。めし屋は腹一杯にさせればよいが、飲食店は楽しませなければならない。五味だけでなく五感を楽しませ、酒も料理もうまかったと、お礼を言わせる店、それがリピートにつながると思っています。
――蔵元とはどういう付き合いですか。
宮川 全国に一八〇〇の蔵元がある。私自身、今のスタイルは良いが、消費者ニーズを取り込んでいない蔵元に、こちらから働きかけてより近づく方向にもっていく、そういう付き合いをしていきたいです。
また、今は、蔵元も代替わりで苦労も知らない若い世代になり、杜氏、地域と関係なく変えてしまうことがある。これもなくなってしまうよりいいのではないか、元も子もないよりいいのではと思うこともあります。
最近は、自分の年齢が上がったこともあるでしょうか、蔵元にきちんと意志を伝えられるようになってきたと思っており、私自身、蔵元と飲食店の橋渡しをする東京事務所と思っています。
――そうした中、いま育ててみたいと思う酒がありますか。
宮川 広島の「蓬莱鶴」があります。年間一〇〇石、一万本にも満たない日本で一番小さい酒蔵ですが。新潟の「鷹千代」「樽鶴」も、新しい世代が造った酒として育てていきたいですね。
また、「梵」は、熟成した酒としては天下一品です。これからは、こうした新しい流れの酒が出てくるでしょうし、バックアップもしていきたいと思っています。
――今後、ますます個性ある酒が育つことを楽しみにしております。どうもありがとうございました。
宮川さんの横顔
昭和18年、川崎市生まれ。代々続く酒屋の三代目。店を預かって二二年になる。地酒を知るまでは単なる運び屋の作業に追われていたが、今は蔵元と飲食店の橋渡しをしながら、自らが独断と偏見で良いと思った酒を育てるのに腐心する。
かつて通ったスキー場へは、地酒と出合ってから板を担ぐことなく空身で行くようになり、好きな山登りも遠のく地酒一筋の毎日であるが、昨年はシルクロード、今年はモンゴルへと海外への新しい酒の旅が始まったようだ。