シェフと60分:リストランテ・オステリア料理長・東中川勝美氏

1998.04.06 149号 9面

イタリアンブームに火がつき、カジュアル化したイタリアンがあちこちでオープンし賑わっている。今後、専門化、カジュアル化とジャンル分けが進むだろうが、「メニューも書けない、名前だけイタリアンというのは通用しない」と言い切る。

カジュアルレストランでも、いろいろなアプローチをしながらしっかりイタリアンに仕上げているところもある。

「お客が入るから、経営的に儲かっているからとカジュアル化している店は、それで良ければいいでしょう。私は好きではない」

前任者の味岡シェフが築いたオステリアの味に、自らのアプローチ法とキッチンスタッフの意見を取り入れ、「バランス感覚あるイタリアン」を打ち出す。

オステリアの客層は、比較的年齢が高い。長い付き合いのある固定客の中には、メニューを食べ尽くしている人もいる。

「できるだけお客の要望を入れるようにするのが原則」と、食材は決めつけずに魚にショウガとかレモンなどを使ったりするアプローチ法もとる。

イタリアでは生の魚は食べない。タイもあらいにはできないが、湯引きにしたり、マリネも一つの方法として取り上げる。

季節を楽しむ野菜は香草とかオリーブオイルを使い、おひたし感覚で提供する。食材は和風だが、仕上げにイタリアンとしての色合いを出していく。

「和食、中華からのヒントはまだまだある。アプローチの仕方は数限りない」

頂点とするイタリアンにどう迫っていくか今後が楽しみだ。

ブックセールスをやめ、クラブでアルバイトをしながらバンド名「カスタードパイ」を結成し、「自分はこれでめしを食っていこう」と心に決めたのが二四歳。しかし、この決意も勤務先のクラブで知り得た血気盛んな若き料理人たちによりもろくも崩れさることになる。

「まったく未知の世界である料理というより、彼らの気迫に押されたのかもしれません」

お決まりのホテルか街場のレストランかの選択を迫られるが、当時、イタリア帰りの料理人が多く、イタリア臭のぷんぷんするオステリアにあこがれ、迷わず入店してしまう。

「がむしゃらにやれば何とかなると思い、無我夢中で先輩の仕事を盗み見しました」

かつて全国組織のブックセールス会社に勤務していたころは、一般の部署より倍のノルマをこなすほどのガッツ人間である。

「同じレベルの人を気にしていては前に進まない。常に上を見て、初めてレベルアップできる」が信条。

「同僚や後輩の存在は眼中になかった」ほど、まっしぐらの修業時代だった。後輩を管理する立場にある現在も上昇志向を持ち続け、トップが止まると下も止まってしまうことを恐れる。

「まだまだ自分の料理は確立されていない。知らないことが多すぎる、機会があれば違った考え方にも接してみたい」

イタリア料理をもっと食べたい、作りたい意欲は、ますます燃え盛る。

イタリアでは、レストランでも家庭でも、ごく当たり前にパスタが手打ちで行われているという。

ボローニャ地方では、花嫁には胸の大きい女性を選べという。つまり、粉をこねると筋肉もつき、胸が大きい女性は、働き者というわけだ。

それだけ生活に密着したパスタを、ここ日本のオステリアでも「リストランテの看板を掲げている以上、手打ちで提供したい」と、専任のスタッフを置くことなく、料理長を含めて全員がパスタ作りにあたる。

イタリアンの料理人でありながら、パスタ打ちの作業に携わるチャンスもなく、どう練り、どう歯ごたえのあるものにしていくかも知らないのでは不十分という気概がある。

「労力は要りますが、自分で苦労して作らせます」

こうした作業が、お客に喜んで食べてもらう大切なセクションを預かっているという自負をもたせる。また、全員が携わることで技術的なレベルアップにもつながっていくとみる。

日本人とイタリア人では麺の食べ方が違うらしい。日本人はうどん、そば感覚で、ズルズル飲みこんでしまう。イタリア人はといえば、しっかりかんで味わうため、どうしてもかためが好まれる。

食生活の違いから、同じアルデンテでも多少の差が出るのは当たり前のこと。

「お客の嗜好に合わせ柔らかめにしたり、手打ちではどうしてもモチモチするものは、乾麺にしたり細かく調整します」

今後も、イタリアにある知られざるパスタを自ら味わい、おいしいものを日本で披露する夢をもつ。

地方料理から成るイタリア料理は、知られざるところが多い。パスタにしろフォッカッチャ一つとってみても、各地方、各家庭の味がある。「小麦粉はどうだろう、作られた背景は何だろう、知りたいが深入りはしたくない」が本音。

「コックですからのめり込んで趣味にはしたくない」と。あくまでもおいしい料理を作るための背景として知る知識にとどめておきたいという。

わずか半年だが、イタリアへ渡ったことがある。ここで味わいおいしいと思ったもの、気に入ったものをイタリアのレシピに基づき素直に店のメニューに取り入れる。

乾燥トマトや肉類では、内臓系を使ったり、麦を使った焼き菓子など、食材も違うし、味覚も違うので若干の調整は必要だが、柱の部分はアレンジをしない方針だ。

「こうした積み重ねで同じような発想ができれば良いのですが」という言葉に、日本人として、決して重なることはないであろうイタリアへの強いあこがれが感じられた。

・所在地/東京都港区六本木6-6-9

・電 話/03・3475・1341

プロフィル

昭和40年、広島県福山市生まれ。二人兄弟の長男としてノンビリした少年時代を過ごす。高校時代から日大農学部時代にかけてバンドを結成する。毎日が生活に追われる貧乏ながらもギターざんまいの日々をおくる。

一度は自らを天才と思い、音楽で生計をたてることも考えたが、クラブでのアルバイトが縁でイタリア料理のシェフと知り合い、現在の店に入る。二五歳、遅めのスタートだった。

料理の経験なく、無我夢中で先輩の後を追い、盗み見ての修業を積む。前任の味岡シェフのオステリアの味を引き継ぎながら、現在は東中川流オステリアの味を打ち出す。まだまだ未知の部分の多いイタリア料理、この奥深さを自らの努力と同時に、他店シェフとの競演などで極めていきたいという。

文   上田喜子

カメラ 岡安秀一

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