業界人の人生劇場:みずほ野グループ・みずほ野代表取締役・馬場昇氏
馬場社長の業界入りは昭和50年、当時三二歳。食品メーカーに勤めていたが、奥さんの父親の経営するレストラン企業が事業多角化で分社化するため、脱サラして新会社の社長に就任した。
「義父が農協関連の結婚式場から料理を委託され、その新会社設立にあたり業界入りしました。それまでは企業組織の一員でしたから、新会社の組織化にはサラリーマン経験が大変役に立ちましたね」
「営業についても競合がなく農協関連の固定客が多かったので順風満帆。六部屋で年間五〇〇組もこなしていました。だから当時は、サービスと品質のレベルアップだけに没頭していました。その時からお付き合いしていただいているお客様と従業員が、現在、わが社を支える財産となっております」
「しかし50年代半ばになると結婚式場の新規参入が増えてきまして。このままでは頭打ちだと思い、当時から出店ラッシュが続いていたFRに着目。洋風FR勢力に対抗して和風FRみずほ野をオープンしました。また、そのころから仕出し弁当の発注も増えていたので、併せて弁当工場もつくりました。宴会、専門店、ケータリングの三本柱による“艦隊経営”はここからスタートしたわけです」
昭和56年12月、「みずほ野桜ヶ丘店」(現・だんらん桜ヶ丘店)をオープン。以後、海鮮料理・日本料理の「みずほ野」、釜飯・すし・日本料理の「だんらん」、海鮮居酒屋の「海彦」、とんかつの「勝牛」、焼き肉「豪気」など数々の専門店を矢継ぎ早に立ち上げる。
いずれも大成功したが、それらの繁盛を支えているのは、結婚式場時代に育った料理人たち。現在の管理スタッフだという。
「当時、私は和食料理人の習慣が肌に合わなかったので、新人を一から育てました。というよりもコツコツ一緒にやってきたという感じです。新鮮食材を求めて築地に行ったり、料理を考えたり」
「その新人らが育ち、定着したからこそ、展開の難しい和食専門店が機能的に運営できるのだと思います。いまや管理スタッフの一員となって厨房から離れた者も多いのですが、厨房を知っているからこそ任せられる、という仕事は非常に多いですね」
「一時は繁盛業態の多店舗化も考えました。ケータリングのCKがあるから食材加工もできますし。でもチェーン店の乱立する外食業界を見ていて、そんな考えは冷めてしまいました。結婚式場の乱立期に似ているな、と感じたわけです。ならばチェーンストアに逆行して専門店に徹したらどうかと思いました。当社は料理人の人材が豊富だから効率論やシステム論は捨てて、本物のおいしさと心地よいサービスでお客様の喜びを追求しようと。それが現在の姿なわけです」
現在は、地域に根ざした“艦隊型飲食店経営”を標榜し、分社化を積極的に進めている。
「飲食店は、経営者が現場志向でなければお客様に喜んでもらえない。目配りを忘れてはいけません。それを前提とすれば、一人の経営者が見られる範囲は、四~五店舗、一〇億円ぐらいだと思います」
「逆に、飲食店業界だからこそ、人さえしっかりしていれば、そのくらいの数字を任せられるといえます。当然一〇店舗できれば二~三店舗でダメだという個人差はありますが。要は責任者の情熱。従業員は責任者の情熱を見て、後についてきます。これは私の経験則に基づく考えですね」
「また、規模は小さくとも、経営陣となる目標があれば、皆も頑張る。その目標も手に届くところにあることが大切。だから分社化を推進し、ポストを用意しておくわけです。飲食業は労働時間が長くきつい仕事。サラリーマン根性では絶対にやっていけない。だから、目的意識を持たせ、自主性を育てたいのです」
今後も、地域に貢献する専門店のグループ企業として、さまざまに違った業態を打ち出す意欲がある。
◆みずほ野グループ・(株)みずほ野/代表取締役=馬場昇/本部所在地=神奈川県平塚市桜ヶ丘二-二二、電話0463・35・1711/設立=昭和49年11月/資本金一億円/年商=グループ全体で四二億円/従業員数=同八九〇人(社員一八〇人)
◆事業プロフィル=みずほ野グループは、(株)みずほ野を中核とするグループ五社で、レストラン、宴会・パーティー、ケータリングを展開する飲食の総合企業。各種専門店(海鮮料理、カニ料理、釜飯、とんかつ、海鮮居酒屋、焼き肉、お菓子)、ケータリング(出張パーティー、高級松花堂弁当、行楽弁当、会議用弁当)、宴会パーティー(祝賀会、法宴、各種宴会)など幅広く手がけている。(1)地域に根ざした繁盛店(2)お客に感動を与える(3)従業員の歓働などを企業ポリシーに“艦隊型飲食店経営”の急先鋒として注目されている。
◆(株)みずほ野代表取締役・馬場昇氏/昭和17年、神奈川県生まれ、五六歳。食品メーカーからの脱サラで外食業界入り。“本物のおいしさで地域貢献を目指す”を経営ポリシーに、みずほ野グループ五社を牽引する。趣味は四年前から始めたゴルフ。ハンデは一六。たばこは吸わず、酒は毎日、アルコール度数にして日本酒二合程度。