シェフと60分:横浜ロイヤルパークホテルニッコー「カフェフローラ」高橋明料理長

1998.04.20 150号 5面

引き継がれてきたホテル内コーヒーショップのスタイルをつき崩そうと、さまざまなチャレンジを試みる。

「一店舗としてカフェフローラがあるんだよと意志表示をしたいのです」

一つにお客に驚きと感動を与えるメニューとして「パレットシリーズ」がある。画家が使うパレットの原板を真っ白な皿に焼き、季節の果物のイチゴ、メロンなどを豪華絢爛に盛り合わせたものだ。

この一皿、まずテーブルに運ばれる時、客席から注目を浴び、色鮮やかに盛られたフルーツの色合い、味わいを楽しみ食べ尽くした後には絵の具風余韻が残る仕掛け。

「先輩が考えついた器ですが、上に盛るもので私らしさを演出したいですね」

過去にとらわれることのない大胆メニューは、「ずばりハーフカットのメロンの器に色とりどりのフルーツを盛り合わせる」はずだった。しかし、結果は原価面で折り合いがつかず、四分の一カットでパレットにのった。

「アピール力が足りなかったからでしょう。これにめげずカフェフローラをロイヤルパークホテルの看板と思い、内に外にどんどんぶつけていきますよ」

早速、4月1日からはワインの持ち込みOKのイベントを展開する。

「提案当初は猛反対でした。今までセレモニー感覚で飲まれていたワインがここまで大衆化してきた今なら、フレンチ専門店ではできないがうちではできる企画」と、自信をもっての説得と開業五周年というタイムリーさで実現したものだ。

七〇階の日本一高い場所にあるスカイラウンジ「シリウス」から地下一階の「カフェフローラ」に突然の異動命令を受けた。「はっきりいって自信がなかったので断りました」。

看板レストランから本来あるべきロビー横でもなく、地下の奥まった場所にあるレストランへの異動だ。当然に困惑はあったろう。「不本意ながら移りました」と笑うが、今ではホテル内レストランとしてではなく、独立した一店舗として位置づけ「わざわざお客に足を運ばせる魅力作り」に腐心する。

まず料理は家族を主体において作る。レストランはこの輪が広がり、友達、同僚と楽しむ場ととらえる。そのため一皿には「カミさんと子供たちが驚く姿、喜ぶ姿を頭に描いた表現」となり、これに何かで感動させる仕掛けをする。

「決まった作り方を守り続けるのも一法だが、右に左に揺れてみるのも必要」とプロのインスピレーションで冒険も試みる。

「今までのホテルとして押しつけていたものをこじんまりとしたビストロがもつ良さを取り入れ、もっと心を伝える店作りをしていきたい」という。こうした発想ができるのも、新しいホテルだからこそかもしれない。

昔は厨房で一緒に鍋を振っていればよかったが「今は料理長がスタッフと同じ動きをしていては店が発展しない」が持論。

自らは時間を作っては回りの飲食店に足を運ぶ。新しいホテルがオープンすれば出掛けて自分の目と舌で確かめる。今まではサービス関係の者が行っていたが、「店の根幹をなすのは料理。そのメニューを考える私が外のことをもっと知らなくてはいけないことです」。

今や厨房はオープンキッチンスタイル、料理長が客席に顔を見せるのも当たり前となってきた。

「お客に近寄るのはビビります」と意外に照れる半面、ウエーターには、お客が少しでも残したら聞くように厳命する。

「ホテルの味は最大公約数、良ければOK」だが、味が合わないと聞けば客席に出て行く。

たまたま年輩の三人の女性客全員が塩辛いという声を聞き、メニューの内容を説明したところ風邪気味との返答。恐縮しながら巨大な量のフルーツ盛り合わせをサービス、度肝を抜かせてその場は納まった。

こんなことが頻繁に起こったのでは大赤字になるが、「これからのホテルは、お客が何を欲しがっているかを敏感に察知する」現場の意識改革を強調する。

横浜ベイシェラトンホテルが今秋、横浜駅前にオープンする。ロイヤルパークホテル、パンパシフィックホテルなど横浜でのホテル戦争はますます激化しそうだ。

目と鼻の先にあるパンパシフィックホテルの「トスカ」は気になる存在。「足を運び食べてみた。雰囲気もリゾート感覚だが落ち着ける。ただロケーションをまだまだこなしきっていないところがあり、これからの変化が楽しみな店」と評価する。

「横浜はリゾートに近いイメージをもって憧れた土地」という思いが強いだけに、ここで競合するホテルはシティーホテルかリゾートホテルか、コンセプトをはっきり打ち出すべき。中途半端はいけないと考える。今後は東京のシティーホテルと張り合うことなく、横浜らしいホテルとして、また、カフェフローラとして面白い企画を打ち出し、特徴づけしていくべきだという。恵まれぬ場所を逆手に何を企てるか楽しみだ。

プロフィル

一九五九年、神奈川県川崎市出身。三人兄弟の末っ子。病弱の母親においしいものを食べさせたい一心から料理に関心をもち、そのまま仕事の道とする。武蔵野調理師専門学校卒業後、街場のレストランかホテルかの選択に迫られるが、生来の派手好きと人一倍強い上昇志向からか迷わずホテルをとる。一九七八年、センチュリーハイアットホテルに入社後、大阪のホテルプラザで一年半の出向研修。料理人世界の厳しさを味わう。

一九九五年、横浜ロイヤルパークホテルニッコーに入社、スカイラウンジ「シリウス」を経て、現職に就く。地下一階というロケーションにありながら、従来のホテル内コーヒーショップにとらわれず、新風を吹き込むべく数々のアイデア創出に奮闘する日々だ。

文・カメラ 上田喜子

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