ご当地ラーメン徹底研究「喜多方ラーメン」 味のキーワードは名水
タウンページの喜多方市を聞く。ラーメン店の数は数十軒。しかし実際には喜多方でラーメンを食べられる店は一二〇軒を超える。「まこと食堂」「大安食堂」「あべ食堂」など。老舗の多くは、「食堂」と銘打ち、タウンページでも食堂に分類されている。
人口三万七〇〇〇人に対するラーメン店密度は、佐野市と日本一を争っている。また老舗の多くは、早朝から店を開けるのが一般的。朝7時オープンという店も珍しくない。早朝野球をやって、ラーメン食べてから出社する。そんなグループまである。
学校給食でもラーメンは出されるし、居酒屋にもラーメンはある。夜、スナックでラーメンを注文したら、出前を取ってくれる。これほどラーメンが生活に密着している地域も珍しい。
古くからラーメン文化が栄えていた喜多方市では、飯野元市長が中心となってラーメン会が発足した。喜多方は「ラーメン」をみこしに担いだ街おこしの先駆となったのである。
ラーメン店の数は倍増し、観光客も急増した。佐野や米沢もこれに続き、その後も「ラーメンで街おこし」を名乗り上げるところが続いている。
喜多方ラーメンの味のキーワードは「水」である。飯豊山の雪溶け水が、スープのキレを生み、麺の鮮度を高める。もともと喜多方の麺は「熟成多加水麺」と呼ばれる水分の多いもの。通常は加水率三〇%前後なのに対し、喜多方の麺は四〇%を超える。
この麺をゆでることによって、より水分が増えるのだから、水のもつ影響力は大きい。水道の普及率が低く、まだ井戸水を使っているところが多いのも、喜多方の水質の良さを裏付けている。
麺は極太の平打縮れ麺。水分が多く、スープのからみが悪いのを縮れでカバーしている。
高山にしろ喜多方にしろ、水のうまい所は、酒蔵、醤油蔵も多い。蔵の街喜多方は、醤油にも恵まれている。スープはその醤油を生かしたさっぱり味に、海産物の香りが漂う。
旭川、高山、喜多方など、海のない所に限って海産物を使う。煮干し、鰹節など、日持ちのする加工食品で、海の幸を摂取するのは、海に面していない地域の知恵かもしれない。
具のパターンも素朴で、麺の太さこそ違えど、東京ラーメンに近い郷愁をそそるラーメンである。
大正末期、チャルメラの音を響かせながら、今の中央通りで「支那そば」と銘打った屋台がひかれていた。「震来軒」「上海軒」「源来軒」などという屋号であった。その中で源来軒の潘欽星氏は、麺打ちの技術や、スープの取り方など、広く喜多方市民に伝えた。修業をして独立した人間は一〇〇人を超えるという。
喜多方ラーメンの土壌を築いた氏は、一九歳の時、伯父を頼って中国の浙江省から来日。流れ流れて大正14年、喜多方の地で屋台のラーメンを始めた。
青竹を使って麺生地を伸ばす桿麺(打麺)という製法であった。それを手でもんで縮らせた。かん水が手に入らなかったため、当時はカセイソーダ(水酸化ナトリウム)を使っていたという。
屋台の時は現在より麺は細かった。店舗を構えて、遠方まで出前をするようになってから麺を太くした。これが現在の喜多方ラーメンの源流となっている。
醤油、味噌、豚骨など、スープの種類も地方により多種多様だが、ご当地ラーメンのキーワードは麺であると私は考える。各地方とも、麺の食感だけは絶対に譲らない。喜多方の麺と博多の麺は、うどんとそうめんほどに違う。太く縮れた平打麺こそ、喜多方ラーメンの象徴である。