業界人の人生劇場:上海エクスプレス社長・杉崎幹雄氏(上)
――ジャンボジェット機就航の翌年に、早速パンナムでハワイへ出掛けるなんて、ただものじゃあない。元祖、青年起業家。
大学卒業後すぐ、TV局向け輸入映画の翻訳・構成・配給を行う会社に就職。同じ年に結婚。翌年、二三歳の時には子供も産まれました。ただ、サラリーマンでは十分食ってはいけないな、とは思っていましたよ。欲深いんですかね。
二三歳の時、渋谷の並木橋に喫茶店を開き、そちらの利益が、当時の金額で月約七〇万円。月給は三万円ですよ。金運には、当初から大いに恵まれていたんですかね。一九七一年、ジャンボジェット機就航の次の年、あの当時世界を制覇していたパンナムの747でハワイへ出かけました。当時三〇万円、今の金額では二〇〇万円くらいはするでしょうか。就航したてのピッカピカの巨大な翼に乗っかって行って、豪遊しちゃった、てところでしょうか。
時代を早読みし過ぎたかな
――異業種を矢継ぎ早に手掛ける。
会社勤めも、順調にいって、いわゆる、出世街道を歩いていたのですが、なにせ、喫茶店がいかにもうかるか、外食から上がる“うまみ”にどっぷりと浸り切っていましたから、もっと儲けよう! と、二六歳の時、新宿にあるビルの二階を借り、「カフェ・フランス」という喫茶店を始めました。
これが、また当たりまして、月売上げが八五〇万円から一〇〇〇万円にもなりましたよ。
三年後、カフェ・フランスの一つ上の階も借り、「パブ・ロッキー」というカジノ・バー(もちろん、本当の賭け事はなしですよ)も始めました。シルベスタ・スタローンの「ロッキー」にちなんだんですよ。ダーツ、ルーレットなどを置き、イタリアの庶民的なバールのような感じに仕上げました。スタローンもイタリア系移民でしたね、そう言えば。まっ、こちらは、まあまあな状態でした。ちょっと、時代を早読みし過ぎたかな(?)なんて、思ってましたけれど。
28歳で会社辞めクラブ経営
――止まらない、止まらない、単価上昇狙い。
こうなると、もう、行く先は夜の街、クラブ経営ですよ。
二八歳で会社を辞め、比較的小規模につくりを抑えた店「フランスこじき」っていうクラブを二軒、新宿・歌舞伎町と六本木に出しました。
さらに、不動産業へも進出。儲かって儲かって、面白くってたまんない時期でしたね。海外へもしょっちゅう出掛け、遊びまくってました。ハワイにはコンドミニアムを約四〇〇〇万円で購入。また、私はロシアにも興味がありまして、モスクワにもマンションを持ってるんですよ。変わり者でしょう?
30代で手作りのパン屋開業
――しかし杉崎氏は、今現在没落の一途をたどっている多くの“一般バブリー氏”では決してなかった。
けれども、人間、遊びほうけて一生を終わるようには、つくられていないのでしょうかね。DNAには、こつこつと働けという指令もインプットされているのでしょうか。
三〇代の声を聞いた時、ふと、このままでいいのだろうかと、自問自答するようになり、手作りパン屋を始めようと思い立ちました。これも、また、どうしてパン屋をやろうと思ったのか分かりませんけれど。
それで、千駄ケ谷の学校で修業しまして、パンを作る技術を取得して、「手作りパン、プティ・フランス」という店を出しました。
店は順調にいきましたよ。ただ、困ったことがひとつありました。それまで、余りに単価の高い、利益の高い商売ばかり手掛けてきたものですから、パンというかわいらしい(?)ものを作って売る、これがとても歯がゆくってたまらなかったんですよ。
例えば、二三〇円を、頭のなかでは二三〇万円、と万を付けて考えてしまったり。
人生は良く学び、良く遊べ
――八〇年代後半、不動産業界に若干の陰りが見え隠れしはじめたころ、氏は外食業界一本での道程を決意する。
この業界で長く生き残るためには、切り口をどのようにすれば良いのか。「上海エクスプレス」のルーツとなった中国料理店「天来」からのヒントで、まず、中国料理店の経営が頭に浮かびました。
そして、当時急成長していた宅配ピザ。それでは、中国料理の宅配をやろうか、まではすんなりいきましたが、下手すれば、そりゃ、ただのラーメン屋の出前と変わらない。ラーメン屋の出前など、昔からのものですし、私の好奇心を、これっぽっちもかきたてなかった。
で、本格的な中国料理を、デリバリーできるチェーンを始めよう。この結果立ち上がったのが、現在の上海エクスプレスなのですよ。
この立ち上げの時が、私のこれまでの人生の中で、最もつらい時期でしたね。それまで持っていたカフェ、クラブなどはすべて売り払い、身一つになり、上海エクスプレスを寝食ともに忘れて立ち上げました。
若いころ、二〇代に豪遊できたからこそ、ここは年貢の納め時とばかりに、一つの事業に集中できる体力が、今、私は五〇歳になりますが、蓄えられていたのでしょうかね。
まさに、All work and no play makes Jack a dull boy(良く学び、良く遊べ)ですかね、人生ってのは。
=つづく
◆大学卒業後、TV局向け輸入映画の翻訳・構成・配給を行う会社に就職。かたわらで、喫茶店経営を皮切りに、小ぶりのクラブまで、さまざまな飲食業を経営。二八歳で会社勤めを辞めるまでは毎日、朝9時から夜11時まで働いていたという「黎明期」を持つ。飲食業からの収入は、二〇代で既に給与の二〇倍はあったという、元祖青年起業家。海外旅行が趣味で、地球上のほとんどの地域へは一度は足を踏み入れたという行動派。豪勢な生活をおくってきた氏だが、半面、一円の価値が、年を重ねるごとに非常に良く理解できるようになったと、柔和な笑顔からは、ビジネスの基本を全身体当たりで会得した余裕がうかがえる。東京都出身、五〇歳。
企業メモ
◆(有)上海エクスプレス/一九七〇年8月設立の(有)幹商会がルーツ。九三年9月、新宿に中国屋台料理「天来」をオープンする。九六年2月、東京・世田谷区に本格的中国料理のクイック・デリバリーを売り物にした「上海エクスプレス」直営一号店となる池尻店をオープン。
以降、今年6月までに、直営・FC店舗、それぞれ八店舗、計一六店舗を展開。デリバリー業界に確固たる位置を占めるには、ここ二~三年が勝負どころと、杉崎社長は意気込む。
OAを駆使した一括受注と、各店舗へのパソコンによるFAX送信など、情報面での武装も着々と進み、今後、外食業界での成長株「一押し」的存在となりつつある。
(聞き手・洛遥)