料理の鬼人私のスパルタ教育法:東方會舘・石井雅比呂日本料理長
池袋にある東方會舘には、毎年二~三人の新人が入ってくる。日本料理料理長を務める石井さんは今までに五〇人ほどの新人と出会ってきた。その中で、きちんと料理人として続いているのは一四人。石井さんの実践している新人の育て方とは、いったいどういったものなのだろうか。
石井さんのもとに集まった新人は、まず「おはようございます」「お疲れさまでした」というあいさつをはじめとした礼儀作法をみっちり仕込まれる。中でも重点が置かれるのが、先輩が調理場に入ったときに仕事しやすいようきれいにしておいたり、準備を整えておくといった「気遣い」だ。
「私たちの仕事は客相手の商売だから思いやりや気遣いが大切。それは必ず料理に出るんですね」
そして一年間石井さんについて、服の準備、お茶出し、食事の準備と石井さんの身の回りに関して何から何までが新人の仕事となる。その間に石井さんから服のかけ方、お茶の入れ方から歩き方、健康管理までも直接指導を受ける。
「『させられる』ことに耐え、我慢することを身につけると、教えてもらうことに対して素直になれるものなんですよ」
新人にとって一年目は、教わる姿勢をつくり、素直に吸収できるようになるための期間なのである。
「この世界は一匹狼ではだめ。それでは壁を乗り越えられないんです。先輩たちに手を差しのべてもらうことが必ず必要になってくる。だから先輩にかわいがってもらうためにも礼儀礼節は欠かせないんですよ」
親しき中にも礼儀あり。信頼関係はそこから生まれるのだ。そのため、調理場内は実に和気あいあいとしている。また、事情があってこの店を辞めていった子が、「ここで身に付いたことが、外の世界に出てとても役立っている」と報告をしに来てくれたことがあり、石井さんはとてもうれしかったそうだ。
ある程度のルールが守れなければ、決していいものは作れないと石井さんはいう。
「茶髪にしてきた子がいて、『ルールが守れないのなら辞めろ』と言ったことがあります。その子は翌日坊主頭にしてきたのですが、それでもここで仕事を続けることは認めませんでした」
しかし、やる気を見込んで他の店を紹介し、あえて外に出した。新たな気持ちで本人ががんばれるようにという石井さんの親心。
同様にこの仕事、あるいはこの職場に合わない子は見極めを早くつけてやる。しかし辞めた後のこともきっちりと面倒を見る。それは残った子たちとの信頼関係を守るためにも必要なことだという。
「辞めていった子も仲間なんです。人生は一回きりだから、選ぶのは結局は本人。だからこそ、よく見て選ぶようにと一緒に考えてやるんです」
石井さんは、新人に必ず事前にレシピを配る。まずは流れをつかませるためだ。そして細かい点、疑問点は先輩に聞くようにと言っている。
「『見て覚えろ』というのは現実的には不可能だと思うんです。雑用に追われる新人は、実際には先輩の仕事を見ていられないことの方が多い。そのために落ちこぼれてしまう子もいるんです」
しかし自信がつかないとなかなか人には聞けないもの。だから新人が聞きやすい状況をつくるのが先輩料理人の務めだという。
「私の場合、注意はするけど怒らない。必ず失敗の原因を聞きます。というのも、新人はできないのが当たり前と思っていますから。手をあげることも絶対にしません」
注意をするときは調理場内ではなく別の場所で、一対一で行う。そしてどこが悪かったのかを言わせ、本人が納得するまできちんと説明する。
「でも、人に危害を与えたり、ふざけた態度のときにはさすがに怒りますけどね」
自分で考えて仕事ができるようになったら一人前と、石井さんはいう。
「先輩に言われる前に仕事をやっている。そして段取りを考えられる。これができるようになればもう新人ではありませんね。やる気さえあれば、技量はついてくるようになります。あとは経験ですから」
最後にもう一つ、石井さんが新人との接し方で特に気を付けていることは、新人たちを飲みに連れて行ったときに、自分は絶対に酔っぱらってしまわないようにすることだそうだ。
「酔った姿を見せて、信用をなくしちゃいけませんからね。でもそのクセがついてしまって、友だちと飲んでいても酔っぱらえなくなってしまいましたよ」
◆いしい・まさひろ(東方會舘日本料理料理長)=昭和26年埼玉県川越市生まれ。中学時代には漠然と好きな絵画や彫刻の世界に進みたいと思っていたが、家業の運送会社に役立つだろうと父親のすすめで商業高校に進学。卒業時、家運が傾き、手堅い職を身につけようと料理の道を歩む。
さまざまな業態の飲食店でのアルバイト経験から、日本料理は、日本できわめれば世界一になると大志を抱き、新宿・割烹「亀井」、大阪・割烹「堂島」「なにわ会館」で修業。いずれは日本料理を引っ提げて海の外に飛び出す夢も描くが、「日本料理の奥深さに引かれてしまい」今に至る。