シェフと60分:フォレスト・イン昭和館「花林料」料理長・松原吉男氏

1999.08.16 185号 16面

フォレスト・イン昭和館の中国レストラン「花林」は、ホテルオークラの協力のもと「桃花林」の味をそのまま客に提供している。オープンは昨年、準備はさらに一年前から始めた。

「既成概念にとらわれず、自分たちのコンセプトで新しいホテルづくりを目指したため、すべてが一からのスタートでした。皿一枚の手配からやらなくてはならなかったので、大変でしたね。資料を集めて用意して、オープン直前で足りないものがあったりして……責任がありました。でもそれ以上にやりがいもありました」

「大変だったのは仕入れ。これまでのように一括仕入れじゃないので、仕入れ業者を電話帳で探すこともありました。都心の業者さんも『ここまでは便がない』というところも多くて……、中国食材というと特にね。いろんな業者さんとやりとりしましたよ。オープン前はそんなことで混乱しましたが、完璧に近く桃花林の特徴が出せたことに満足しています」

四季折々の野菜を取り入れた広東料理が自慢だ。

「最近いろいろと新しい料理も考えますが、基本線は残しておきたいタイプです。ただ、食材特に野菜はいろいろと試しています。コースの中にも大分入っていますが、例えば今回はちょうど地元の野菜でもある『東京うど』を使いました」

駅から歩いて五分程度の立地。地元の客の確保を今、ホテル全体としても課題としている。「お客さんに足を運んでもらうこと」を目的に、今回五〇人限定で「廣東味紀行」と題した特選プランを計画した。ふかひれや北京ダック、アワビや伊勢エビといった高級食材を使った、前菜からデザートまで九品のコース。

「今回は正統な広東料理ですが、メニューを組んで自分でもすごいコースだなあって感心していたところです。料理の内容からこの値段では利益がでませんが、あくまでお客さまにフォレスト・イン昭和館を知ってもらうことが前提ですから、気にしません。これからもこういったフェアをやっていこうと考えています」

技術系の高校に通っていたが、中国料理店でのアルバイトをきっかけに、厨房の世界に入った。

「知り合いに皿洗いのバイトしようと誘われたのがきっかけです。鍋洗いなんか全然楽しくなかったんだけど、長くやっているうちに少しずつ調理なんかもさせてくれました。いわゆる『まかない』なんですが、それで興味がでてきました。最後の方は入ったばかりの見習いを指導できるようになっていました。将来を考えた時に、スーツ着たサラリーマンの自分はあまり考えられないというのもあったし、何より自分の上達がうれしかったんですね。両手使ってしか割れなかった卵が、片手で割れるようになった、という具合で。自分にあっているのかなって」

高校を卒業し、ホテルオークラへ入社。三年間桃花林で修業し、その後オークラスカイレストラン「桃里」に移り、腕を磨いた。

「そこでは、五〇人から一五人の厨房に入って、そこでストーブ前というか、揚げ物の担当ができるようになりました」

揚げ物から鍋を振るまで、一通り学んで店の戦力となったころ、「宴会料理もできるようになりたくて、桃花林に戻してくれと思い切ってお願いしました。はじめは結構引き留められたんですが、最後は『いずれは結婚式の料理もできるようにならなくちゃならないし……』と理解をいただいて戻りました」

熱心に団体料理を学び、一昨年花林の料理長に就任することとなる。

厨房は現在一四人。

「新人教育は厳しい……かな、厳しいですね。うちの厨房は年功序列ではないんです。実力の世界だと思ってやっていますから、できないのはずっと野菜そうじをしている場合もあるわけです。小さい調理場には、小さいなりのここだけのスタイルがないと、すぐに全体がおかしくなってくるんです」

「例えば新人を二人入れても同じように上がらないこともあるんです。今の若い人にはちょっとコクかもしれないですけどね。ライバルに差がついてやる気を無くしてしまうことも予測できますから。それは私のほうで、できるだけそういう事態にならないように、説明していきます。まして、厨房がそれによってギスギスしてしまっては元も子もないですから、フォローというか、なぜライバルがステップアップして自分がステップアップしなかったのかを話し合って励ましたりします」

「実力主義が大変な部分もあるんですが、経験を積めばそれなりに、と考える若い人が多いように思うんです。厳しいかもしれませんが、ここは実力の世界なんだと、みんなにもよく言っています。厨房のレベルも上げていきたいんです。それには厳しくもあり、競争心もありという雰囲気は大切です」

「この厨房を出て、よそへ行った時、『あそこを出てきたのか』と言われるくらいの厨房を目指します。そして、だれがどこに出ても恥ずかしくないようにしていきたいんです」

厳しさの中にある、スタッフへの愛情が伝わってきた。

◆プロフィル

昭和35年東京生まれ。サラリーマンの自分は想像ができなくて、技術系の高校に通うが、アルバイトで中華料理店に入り、中華料理のシェフを目指す。三年間続けたアルバイトではまかないができるまでに成長。ホテルオークラに入社して、また一からのスタートになったが、小さいレストランと違って、ホテルは五〇人くらい社員がいる。その中で上に上がっていく意欲は人一倍強かった。アルバイトの時、北京語でメニューを覚えたが、「桃花林」では広東語になり少しとまどったという。結局、広東語は独学でものにした。定番は変えず、素材を生かした広東料理を提供する姿勢に迷いはない。

文   石原尚美

カメラ 岡安秀一

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