榊真一郎のトレンドピックアップ:バリ飯、おいしくする簡単な呪文

2001.09.03 235号 9面

バリ島でも多国籍的「混ぜ合わせ料理」がブームのようだ。例えばタスマニア産のラムをアメリカ風にチャーブローしてタイ風グリーンカレーをかけインドネシアのサンバルスパイスをタップリ添える、なんてメニューがある。もとよりチャンプルー(沖縄)と一緒の土地柄だから、世界的なブームになる前から存在したのだろう。

かたやFour Seasons Hotelのような世界的ホテルチェーンの多国籍的「混ぜ合わせ料理」。メニューを開くと「これ、ハワイのフォーシーズンのメニューとまんま一緒じゃん」ってコトになったりする。

今回のバリ旅行でも、まさにそうした出来事に遭遇した。

最初はフォーシーズンと似たり寄ったりで、「だからチェーンホテルはつまんないネ」なんて思った。

しかしその料理に手をつけるすんでのトコロで驚くべき変化球が皿のど真ん中に放り込まれた。正体は「米」。薫り高いインディカ米をサラサラに炊き上げたアジアのご飯だったのだ。

実はそこに辿り着くまでしこたまのパンを薦められ、薦められるがままに酒の摘み代わりに口に運んでいたワタシ達は、まさかご飯がメーンディッシュと一緒にサーブされるとは思ってもいなかった。日本では「パンかライスか」なんだから。それが常識だ、と思い込んでいた。でもそれは只の思い込みでしかなかったワケです。

パンはワインやビールを楽しむためにあり、ご飯は料理をより美味しくするために存在している、と言う当然の役割分担こそが常識だ。常識に素直になればパンとご飯が共存する食卓こそ常識的な食卓であったと言うコトに気付かされる。

何より日本人であるワタシ達がビックリしたのが、様々なごちゃ混ぜ料理だ。ある物は妙に甘ったるい香りにまみれていたり、ある物は恐ろしい程に刺激的な辛さであったり。だが、驚くほど自然に口に運び続けることが出来た。

ハワイの同じような料理を食した時は、その辛さやその匂いが気になってとても一皿全てを平らげるコトが出来なかった。そんな料理の「すべてが・首尾よく・胃袋に・すんなり・収まって」行く快感に、「ああ、ありがとう、お米さん」と感謝しちゃったりする。

「折角の美味しいソースですからパンで掬い取ってどうぞ」なんて言われるより、「ソースとご飯を絡めて召し上がれ」の方がずっと気が利いているしアジアの人には合っている。

いつから日本人は「パンかライスか」なんてケチ臭い選択を食べ手に迫るようになったんだろう。「二つに一つ」は人生の厳しく連続する二者選択に疲れ切っている今の人達にせめて食事時ぐらいは「二つを一緒」ぐらい提案しても罰はあたらないような気がするんだけど。

バリの人達は、決して日本人のようには豊かではない人達ですが、「本来、高価なモノを安く食べて貰う方法」と「元々大衆的な料理を贅沢に食べて貰う方法」を上手に使い分け、ケチ臭いからは無縁な食生活を送っている。そういう意味で日本人は彼らのようには豊かではないかもしれない。

まず、本来高価である筈のモノを安く、と言う工夫は「主食と混ぜて食べる」と言うもの。それはお米だけじゃなくて、例えば牛肉と野菜のオイスターソース炒めを頼むと、その中に広幅のライスヌードルを短く切ったのが混ざっていてその独特のクニュクニュした食感が肉のシコシコと菜っ葉のパリパリと一緒になって、腹に溜まるだけじゃなく口に美味しい。

元来の大衆的を贅沢に変える秘訣は、「具がタップリ」に尽きる。具材の方が麺よりも多い焼そば、野菜や海老がゴロンゴロン入っている汁そば、シーフードの炒め物のようにしか見えない炒飯。そのバリエーションには限りなく、何しろコレをおかずにまた飯が食えたりパンが頬張れたりするのがオモシロ楽しい。

腹を満足させるのでなくココロと五感を満足させる料理。そんな奇跡の料理のヒントがアジアにはある。しかもそれが結果として、懐まで満たしてくれるのだから、コレはこたえられないコトじゃないですか。

((株)OGMコンサルティング常務取締役)

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