榊真一郎のトレンドピックアップ:嫌いだったはずがスキになる

2002.06.17 254号 12面

少々恥ずかしい告白をしてしまえば、実はワタクシ、長らく好き嫌いに身を委ねる食生活をしてました。「食」の世界でお金を頂戴しているにも関わらず、結構、嫌いな食品があったのですな。

例えば納豆。例えば生の玉子。…この二つには共通の特徴が実はあって、それは比重の違う二つの物体、納豆の場合には豆と粘り気、玉子の場合には黄身と白身…これが永遠に混ざり合わないあの優柔不断が口の中で暴れるから…。だから納豆に生玉子をボトンと落としてグジュグジュして御飯にデレデレ乗せてジュルジュルすするという行為は「嫌い×嫌い」のモノだった。

まあ、他に食べるべきモノはたくさんあるわけで、嫌いは嫌いでイイんじゃないの?…と思っていたりもしたワケです。

ところが何故だか、昨年の秋、納豆の方は克服のめどが立った。

最近少々はまっている蕎麦懐石の名店「大木戸矢部」という店で、手打ちのそばが当然の如く売り物でありながら、実はうどんが滅茶苦茶ウマイのだけれど、中でも納豆うどんが非常に良い…と、連れていってくれた友人がしたりげに言うや否や、お店のご主人がボクの目の前で黒漆の鉢に箸をぶち込んでグリグリ容赦なくかき混ぜる…納豆とうどんをネ。腕自慢の従業員が手塩にかけて打ち込んだ自慢のウドンだという…、ああ、納豆なんかで汚さずそのまま食べたいと思うボクの目の前にやってきた。小麦粉色の薄飴色肌が薄茶色に汚れているばかりか泡まで吹いてる。こちらの都合を知る由もないご主人はニコッと笑う…、食べる。

美味かった…。何でだろう?…どうして美味しかったんだろう。

その後、家で御飯にかけ食べてみたりするのであるけど、米粒にまとわりつくより麺…それも力強き殿方系麺の方が数段納豆の主張が小声になるのが分かった。これが昨年秋のワタシの発見の始終顛末。

次いで嫌であったのがピータン。

口の中に入れたときのアンモニア臭と、何よりツルンとも言えずヌルンとも言えぬ、これまた独特の食感の組み合わさり方…白身部vs.黄身部というようなあの合わせ技が好きになれない食材で、特にこの性格が如何なく発揮されるのが実は「ピータン豆腐」なる今では居酒屋でも普通になっちゃいましたネ的料理であったりする。

あのピータン豆腐ってシロモノ、どうやって食べろ…、というメッセージなんだろう?

豆腐の上のピータンを豆腐と一緒に箸で摘んで口に放り込め…、ということなんだろうか?

もしそうだとしたら、そうすることによって一体どのような効果が発揮されるんだろう…、そうすることがそうしないことよりも本当に数段優れたことなんだろうか?

と、こう考えるとそもそも好きでもない物をワザワザ食べる努力しなくてもいいんじゃないの…、と思ってた。

そして先日、新宿の街外れのひねりの効いた中国料理が旨いと評判の「敦煌」という店に行った時、うぅむと唸るようなピータン豆腐が出てきた。

そもそも形状その物が当たり前のピータン豆腐ではなく、白和えをイメージして頂くと分かり良いのかなぁ、象牙色寄りの白色の豆腐の中にポツリポツリと茶色い粒粒が混じり込んでいる…そんな物体。口に入れると全体的には豆腐の味なのだけれど、刻んだ白ネギと胡麻油の香りがほんのりとし、味は塩味。時折、舌先に残るプルプルは紛れもなくピータンなのであろうけれど、ピータンの独特な食感はなりを潜め、濃厚な風味と弾ける食感だけを発揮する。

要は豆腐にピータンを乗せて白髪ネギをあしらう、いわゆるピータン豆腐をまな板の上で叩いた…ような単純な料理であったのだけれど、なるほどピータンとは素直な素材に奥行きを与え、頼りない食感をピシッと引き締める、そんな役割を持った名脇役的食材であったのだ…ということに気が付く。

このピータン豆腐を舐めながら酒を飲むのもよければ、炊きたての御飯に乗せて食べるのもウマしであって、つまり味に奥行きが出る以上に「食べ方にも膨らみを与える」そんな料理でもあったワケです。

漫然とかつての料理を守るだけでなく、新しい食べ方を模索する中で思わぬ発見、思わぬ楽しさが生まれたりする…、それが楽しい。ところで生玉子が克服出来たか? というと、これは半分だけ…。その詳細はまた後日。

((株)OGMコンサルティング常務取締役)

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