“元気印”の地方繁盛店、「枝魯枝魯」オーナー・枝國栄一氏に聞く

2002.11.04 262号 3面

創作和食も、三八〇〇円ディナーも、昨今はもう珍しくなくなった。だが本場割烹で積み上げた技術を引っさげ、「殿様商売にあぐらをかいた割烹の世界を変えてやる」と反旗を翻したのが、枝魯枝魯のオーナー枝國栄一氏だ。京都に引き続き、昨年東京の店をプロデュースした彼は、京都の伝統和食を大衆に広げるべく果敢に挑戦している。

東京店(原宿店)のプロデュースは、京都の「枝魯枝魯」に通っていたファンのひとりで、原宿にメキシコレストランを営むオーナーからの依頼で実現した。すでに京都では、来年の春まで予約がとれないという状況だった。

枝國氏は、枝魯枝魯で独立する前は、京都の割烹料理屋の板長を務めていた。昼ごろ出勤して味見をするだけの上げ膳据え膳の待遇。でも三万も四万もする高級割烹の価格設定には疑問を感じていた。

「天然のいい素材だけではない、店の内装、器や掛け軸、庭園、仲居さんなどの付加価値が価格を高くしている。でもその値打ちを分かってお金を払っているお客さんはどれだけいるのか」(枝國氏)

知名度や価格だけを見て有りがたがってくる人たち。老舗だからといって大上段に構えて、殿様商売を続ける料理店がいやになった。

当時子供が誕生し、「自分の信念を貫く格好いい親父の背中を見せたい」という気持ちも後押しした。

「自分が自腹で行きたいと思うような店をつくろう」(枝國氏)

「舌がおいしいと納得できる限界は、せいぜい四、五〇〇〇円。それ以上の価格で毎日食べてもいいと思える料理は存在しません」(枝國氏)

コース三五〇〇円の割烹料理。二人で軽く飲んで食べて約一万円だ。

営業時間は午後6時から午前2時まで。それも「夜中においしいものを食べるところがない」と考えたからだ。

一皿一〇〇円の原価だから、よい物はなるべく素材の持ち味を生かして手を加えず、そうでなければ手間ひまをかけて工夫する。だれもが知っているスタンダードなメニューと、だれも考えたことのない新しいものを組み合わせるのが彼のスタイルだ。

たとえば魚素麺は、ハモに梅肉を合わせるのが普通だが、それではハモの味を殺してしまう。それを食べるはしの方に、梅の味を染み込ませる。

調理は狭いカウンターですべてを行った。それだけに「仕込みには営業時間と同じくらい時間がかかる」が、その人件費やコストを考慮しても、経営は立派に成り立っていると胸を張る。

「利益率を下げても回転率を上げれば、ちゃんと儲かるんです。和食はこれまで、ぼろ儲けし過ぎだった。でも無理に天然物を使わなくても、努力をすれば、安くておいしい和食をお客さんに食べてもらえる。和食の常識を覆すこと。この価格を和食の適正価格として、業界全体を塗り替えることが私の目的なんです」(枝國氏)

イタリアンもフレンチもリーズナブルな価格で食べられるようになったのに、まだ和食だけ、客に歩み寄っていない。

「知名度の上にあぐらをかいて、おいしい料理さえ出せば高いお金が取れると思っている料理人はつぶします」(枝國氏)

そんな過激ともいえるセリフも飛び出すが、「やりたいことは、歩み寄っていない人たちの背中を押すこと」だ。だからできるだけマスコミにも出て、それを伝えようとしている。そんな彼の言動が、和食業界の重鎮たちの反感を買わないはずもない。「あちこちでたたかれてます」と苦笑する。

だが最終的に答えを出すのは客だ。しかし店に入れる客の数にも限界がある。世論をまき起こすまでにはいかない。

弟子たちは支店を出せるくらいに腕を上げてきたが、もっと一気に業界の常識を覆せる方法があるという。

「日本の食文化がまだ根付いてないフランス。そこで日常的に食べてもらえる四〇〇〇円ぐらいの和食のコースをヒットさせて、日本に逆輸入させます」(枝國氏)

海外で成功することが革命への近道だ。

その日に向けていまは準備中という。京都の風雲児の挑戦は、すでに東京を通り越し、海外へと向けられている。

◆「枝魯枝魯」(京都市東山区川端通四条上ル二丁目常磐町一七七番地の一、電話075・533・1155)営業時間=午後6時~翌午前2時、水曜日定休

◆プロフィル

えだくに・えいいち=一九七三年京都生まれの二八歳。高校卒業後、居酒屋でアルバイトしたのがこの道に入るきっかけ。その後、京都の割烹料理屋で修業を積み、板長まで上りつめる。二六歳で独立。

人と話すことが好き。東京に来るとクラブにも行くという。「いままでの割烹料理店の電話番号が、クラブで踊っている若い子の携帯に入っていることなんか、まずないでしょ。でも登録していた子がいる。普通の女の子にも興味を持ってもらえる世界に和食を持ってこれたと思います」

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら