シェフと60分 上野・薮蕎麦社長・鵜飼 良平氏 質と接客にこだわる3代目
創業明治25年、この5月で一〇〇周年を迎えた上野・薮蕎麦。神田・薮蕎麦が本家で、そののれん分け一号店である。鵜飼良平社長は三代目。そばもつゆも昔の味と変えていないという。頑なに老舗の味を守り続けてきた。
「古来からの伝統の味をたいせつにしている。ただ、素材の醤油の醸造法が変わっている。子供の頃に食べたつゆはもっとこくがあった。その味を再現するために、自分の代になって小豆島の天然醸造の醤油にした」という。味に対するこだわりは半端ではない。
そばはゆで上げて一分で麺質が変わってしまうから、出前は一切やらない。「出前はついでの商売」ときっぱり。江戸前蕎麦職人の心意気が脈打っている。
「品書き」に“活きな味”と銘打っている。「酒を飲みながら、そばの先きに少しつゆをからませて食べる。それがそばの活きな食べ方なんです」。見栄を張る食べ方が“活き”につながっているようだ。昔から蕎麦屋の酒はうまいといわれてきたが「そばに合う酒は辛口。当然、酒にもこだわっている」という。薦被りの一斗bMを店の中に置き、“蕎麦屋の酒”のこだわりもみせている。
日麺連の常務理事として業界のまとめ役の任も負っている。業者のお互いの共通点を見い出し、相互メリットの追究を図らなければならない。「店の仕事より、日麺連の仕事の方が多くなった」と苦笑いするが、こちらでも手腕を発揮している。「昨年から消費者を対象に麺博覧会を開催しているが、今年は二万三〇〇〇人を動員した。会場で手打ちそば教室をやったらものすごい反響があった」と主催者もびっくりするほど盛況を収めた。
苦労がないわけではない。そば職人の育成は常についてまわる。「われわれの時代は理屈抜きに肌でそばの打ち方を覚えたものだが、今の若いものには通じない。まず理論を教えないと覚えられない」と時代の移の変わりにつれ、職人の育て方の難しさも指摘。
従業員の接客態度にも目を光らす。「のれんを食べさせるだけ、という商売は昔のこと」で、接客に心を配る。「毎月、店長会議をやって、接客時のことばの使い方などマニュアルを作って勉強会を開いている」という。こだわりは単にそばの味だけにとどまらない。
韓国でいま、そば、うどん店がブームになっているが、鵜飼さんはいわばその“功労者”。「一〇年前に技術指導し、その後、現地資本に参加、現在韓国・ソウルを中心に“千寿”という屋号のそば店を五軒出店している」国際派でもある。
1936年9月東京台東区上野に生れる。“産屋”は薮蕎麦。そば打ちつゆの仕込みは理屈抜き代々の秘伝を皮膚感覚で会得する。1972年三代目社長に就任。(社)日本麺類業団体連合会常務理事。