シェフと60分 「ラ・ヴィーナス」オーナーシェフ・大渕康文氏
「お客さんとサービス、味覚などについて素直な会話が楽しめる。また、こういうことができる店の雰囲気、環境作りが大切と思う。これらを通して料理人は切磋琢磨、技術も向上していくものです」
新しいフランス料理の若手オーナーシェフとして、マスコミでも注目を集めているのがこの人。
昭和28年に干拓で知られる秋田県八郎潟のそばで生まれた。またプロ野球で現在大活躍している巨人軍の落合博満選手とは同級生であり大の幼なじみとか。
南フランスのニース、モナコで修業。帰国後、東京・神田の「アルピーノ」、青山の「ロ・ア・ラ・ブッシュ」といった店で料理長を経験。一昨年に自ら(有)「コンコルドスター」を設立、現在は東京・渋谷の代官山にあるフランスレストラン「ラ・ヴィーナス」のオーナーシェフになっている。
日本ではフランス料理といえば、素材、作り方、味、メニューなどをフランスから直輸入、いわばレシピに基づいた料理が多かったというのも事実。しかし、料理だけでなくどの分野でも外国文化を取り入れながら日本流に上手にアレンジして浸透している。
大渕さんも料理では必ずしもおいしいことだけが伝統ではない。特に“食”は(個人)幼児体験の影響が大きく、これでその人の味覚が決まるとの認識とともに「フランス料理でも日本の素材と食べ手の日本人の一体化をどう図っていくかが必要である」と強調する。「日本人の味覚に馴れ親しんだ日本の素材を使い、フランス料理のノウハウを活かしたメニューの提供をしていきたい」と意欲を見せる。
ニューヨークにはニューヨークのフランス料理。日本には日本だけのフランス料理があってもいいはず‐‐が彼の持論。
また、フランス料理では作る上でフランス文化を個人個人がどう理解していくかも一つのポイント。書物の勉強だけでは理解できない。この面では、先輩に誘われてフランスのニース、モナコで約一年間生活して「料理そのものの勉強よりも現地の日常生活に触れられたのも大きな財産になっている」と語る。
グルメブームのはしりの昭和62年頃に神田「アルピーノ」での料理長の時にこの世界でようやく認知されたという大渕さん。
“食”の幼児体験を想い出してか、当時、「野鴨のローストゴボウソース野ぜり風味」という日本のゴボウを使って野菜の風味豊かな香りを醸し出すソースと野鴨を合わせるという独創的なメニューを発表するとともに、魚料理でもフランス料理では鯛、舌平目といった高級魚を使うのが一般的であったのに対し「いさき」を上手に取り入れるなど従来の調理に一つの革命を起している。
料理もそうだが一つの決まったパターンはない。フランスにない素材でも、日本人は日本の素材のおいしさを知っている。これは料理にも積極的に取り入れるべきなのかもしれない。
「文化、気候、風土が違えば食べるものは当然違ってくる。カステラ、天ぷらは日本流にアレンジして成功した代表的な食べ物。それに自然環境が変化すれば、そこで生れる、採れる素材も違ってくる。フランス料理も作る上でこれらを考慮せざるを得ない」と柔軟性に富んだ考え方とともに「食べる側も頭で描いたのと違ったおいしさ、メニューを求めている」と料理に夢を追求する。
ところで、料理はその作る人の人間性が表われるというが大渕さん。日本は個の社会が確立していないためか、欧米に比較して「個人がそれぞれのレベルで生活を楽しむことが下手というより知らなすぎますね」と指摘する。
フランスはパリにしても、居住地を異動するのは観光客と一部のビジネスマン。大多数の住民はほとんど変えていない。それだけに、彼らが利用する飲食店もほとんど変化を見せていない。これに比較して日本は狭い風土の中で人の異動が激しすぎる。
これでは食文化も何も成り立たない。「それにもっと日本人は食べるという行為、時間、内容などに関心を持つとともに有意義に楽しんでもらいたいですね」。
いずれにしても、「味覚オンチは一人もいません。その証拠に日本人だったら誰でも味噌汁は上手に作れます。味覚の幅が狭い人と広い人がいるだけです」と語る。
日本では、フランス料理の歴史が浅い。素材についてもフレッシュの黒トリュフ、フォアグラなど日本に輸入されてまだ二〇年を経過していない。
それだけに素材論から文化論へ移行してこそ本当の意味で成熟したフランス料理が確立される時代が到来したといえるだろう。
文 木村繁男
カメラ 新田 実
昭和28年11月3日秋田県生まれ。同43年に故郷の秋田県から上京。タカラホテルで修業。同48年、渡仏、南仏ニース、モナコのレストランで研修、帰国後、渋谷のレジャンス、ベル、フランスなどを経て二五歳の若さでヴィスコンティの料理長、同59年アルピーノ料理長に就任。平成5年、(有)コンコルドスター設立、代表取締役に就任。同5年、レストラン・ラ・ヴィーナスを開店現在に至る。
一昨年オープンしたばかりの店だが、オーナーシェフの人気、話題性もあり知る人ぞ知る超人気のフランスレストランになっている。また、常時二〇〇〇本以上(一八〇アイテム)のワインも用意されている。