シェフと60分 懐石料理「楽味」店主・小倉久米雄氏 飾りで勝負はできません
かつて官官接待で華やかなイメージを持っていた赤坂も、バブル崩壊とともに大きく様変わりした。
赤坂のイメージで来る客が減り、大きなビルも空室が目立ち、赤坂の様相を変えたTBSのまわりには、カラオケ、焼き肉店などがどんどん進出している。
「限られた客で営業している高級店は、こうした状況にすぐに対応できず、ほとんどの料理屋は、今の商売を止め、焼き鳥屋でもやろうと思っているだろう」が、業界すべてが大衆に目を向けているため、どちらを向いても競争の時代。
生き残りを賭けた商売は、ますます厳しくなる中、「今までは大きな企業、小さな企業ともナンバーワンを目指していたが、これからはオンリーワンの時代」という。
ここにしかない、そこに行かなくては買えないものを売らなくてはいけない。
「築地で魚卸しをやっている店が、渋谷で魚を焼き物や刺し身にして売っている。この店が、決して安くないのに繁盛しているのは、客のニーズをしっかり捉えているからでしょう」
料理屋の料理は、メーンが半分、あとの半分はあしらいで、利益率を考えアレコレ飾りつけ、お客に納得させていたところがあった。
「これからは、正味で勝負。内容を充実させなくては通用しない」。長い間、この業界一筋に歩んで来ただけに、これからの方向づけとして重みのある言葉だ。
これからの業界は、淘汰がどんどん進み、個人企業ではやっていけず大企業か三ちゃん商売に分かれるという。
現在は不規則な勤務時間が多い中、平成9年には八時間以上の労働時間はままならぬ法が実施され、休日も定められるとなると今までこうした労働力に依存していた零細企業は、人も使えず営業もできない。
これからの労働力は、どんどん大企業に移動していくと予想され、「料理人に求められるのは、料理を作るだけでなく、管理職的知識、能力も求められる」とする。
現在、調理師国家試験のほか調理人評価試験制度により経験年数一〇年以上の者が検定に合格すると厚生大臣から専門調理師の称号、労働大臣から調理技能士の称号が与えられる。
「昔は、オイ!、コラッ! で人の管理はできたが、今は教育程度も上がり自分自身も高い知識、深い知識で当たっていかなくてはいけない」
組織内での人の統率力が必要と力説するだけに、将来、業界では、“特級調理技能師”の制度を設け、管理職的資格を取得して初めて調理師として通る方向にもっていきたいという。
歴然としたタテ社会で知られる料理人の世界だが、バブル崩壊後、この関係図が崩れつつある。
「今まで親方として君臨して来た人がリストラの対象となっている。以前は親方がいなくなると全員がいなくなるため、気に入らなくても税金のつもりで置いていた。一番経験があり一番仕事のできる親方が率先して包丁を持たないようではリストラの対象になるのは当たり前」と言い切るのも、次世代への人材育成が急務と痛感するからだ。
実際、リストラ対象となった親方に経営者は、減俸手段をとり、怒ってやめた親方には次の仕事がないため、若い人はついて行かない。頭が落ちたところで二番手が上がっていくというのが一般的現象。
「トップが外れても実質上仕事をしていたわけではなく、支障はない。経験ある親方は惰性でものを考えるが、若い人は勉強しているし、チャンスがあれば良い仕事をする」と、自らが経営者であると同時に業界発展に多大なエネルギーを注力するだけに手厳しい。
「料理人になるには調理場の雰囲気が身についていないといけない」というだけに、「昔からある追い回しというのはかわいそうなようだが、調理場の中で料理の流れをつかみながら仕事が憶えられる」と肯定的。
調理師学校を卒業しても、厚生省のカリキュラムに従って、一年間に和・洋・中、すし、そばと盛り沢山の教科があるため、広く浅い知識は持っているが、現場では役に立たない。
「和なら和を一年間みっちりやれば、ある程度間に合うのだが」と、今の教育体制を憂慮する。
一つの案として、一年を調理師学校、残りの一年を職業訓練校で履修する案もあるが、行政の管轄が違うため実現には時間が必要のようだ。
昭和2年、大阪市生まれ。家業は料理屋だったため、幼い頃から料理人の世界を知る環境にあったが、好きな絵を生かせる建築の道に進む。戦後、首相や宮様の料理を作る料理人として名を知られていた父親のすすめで料理の道に入る。この道に入る動機のもう一つに、人に使われるのでなく、自分の実力でいけると思ったといい、自分の店を持つことを信念に修業に励む。
昔は上に厚く、下に薄い給与体系だった。
調理場の給料予算が二〇〇万円あると、まず一番上の親方が半分の一〇〇万円をとり、残り半分の五〇万円を煮方や向う板がとる。あとの残りを修業中の者で分けた。
ヤル気のある親方は、大変な給料をもらい、尊敬もされ、若い人の憧れでもあった。今は、逆に下からとっていき、上が薄くなってきた。最賃制で保障しなければならないからだ。
「昔は若い衆を五~六人置いても、食べさせるだけで良かった。今はそうはいかない。世代交代が始まっている今、われわれ上の者の意識改革が求められている」と笑う。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
昭和25年、神田小川町に割烹「おぐら」を開業するが、思うところがあって兄に譲り、割烹「楽味」の屋号で赤坂にオープンしたのが39年。以後、四店舗出店するが、現在は赤坂店のみ。
「人に頼まれれば断わらないのが主義」とかで、(社)日本全職業調理士協会理事長、全国日本調理技能士会連合会会長、東京都日本調理技能士会会長など数々の役員を兼務している。また、総理大臣表彰、労働大臣表彰などを受ける。そのほか、調理師学校講師を務め、著作出版物も数多くある。