食の視点 一点勝負・味な豆腐料理(その2)たかが豆腐されど・・・
●なつかしの
今やデパートやスーパーに行けば、パック入りの大量生産物からグルメ様向けの限定生産の超高級豆腐まで揃っている。工場生産の豆腐でも、国産大豆にこだわっている製品もあれば、緑大豆を使った高級品もある。ただし、揃っているが、納得できない。
ちょっと前(二〇年くらい前)までは、ラッパを鳴らしながら豆腐屋が、自転車でどこの町内も流していた。夕方ののどかな風景。遊んでいる子供たちも豆腐屋のラッパが聞こえると、夕飯の気配を察し、すきっ腹を抱えて家路に着いたものだ。何もレトロが良いというものでないけれど、それだけ庶民に近い食べ物だったと言いたいだけ。
グルメ番組の先駆けと言われている「くいしん坊バンザイ」の初代レポーター、渡辺文雄氏がおぼろ豆腐のおいしさを、7月30日の読売新聞で書いている。街角に豆腐屋さんがあって、朝早くから大豆の煮える独特のにおいを立てている。豆乳にニガリを入れて、十分に固まり切らないうちにすくい取って食べる。かたまりかけて温かいおぼろ豆腐をすくって、口に含んでみる。どんなごちそうもかなわない。
それから、温かいオカラを包んでもらって家に帰る。朝食はオカラを煮たものに、豆腐とワカメの味噌汁。ついこの間終わった昭和時代の食卓風景だ。もう戻らないシーンかも知れない。庶民が本当においしい豆腐を、気軽に安価に口にできないでいるのは豆腐好きとしては悲しいが、それも時代の趨勢なのか。
横浜にラーメン博物館ができて大層な人気だが、どこぞに豆腐博物館でもできて、あのなつかしの風景を再現してくれないものか。
●突然の納得
今回豆腐を書くにあたって、いろいろ調べているうちに、分かったことがある。あまり大変なことではないのだが、筆者にとっては結構大変な発見なのだ。それは、水に浸した大豆をすり下ろしたものを、生呉(なまご)ということの発見。
ちょっと年齢のいった方なら覚えておられるかもしれない。夏になると出てくる枝豆。ビールの友に最適のアレ。生のままの皮をむいて、すり鉢であたってドロドロのスープ状にしたものを火にかけ、ミソを入れるゴジル。
なんでゴジルというものか、ずうっと訳も分からずにいたが、ようやく納得。生呉の汁だから呉汁。枝豆の味噌汁。枝豆も味噌も同じ大豆の食品で、豆腐のちょっと遠い親類。湯葉は豆乳を煮立ててできた膜のことだから、豆腐の直接の親類だ。日本がコメの国であることに異存があるわけではないけれど、小麦だって大豆だって、本当にうまく食生活の中に取り入れている。海外から、日本の食事に熱い視線が集まるのもむりからぬことと、これもまた突然の納得。
●豆腐の仲間
平成5年度の調査では、一世帯当たりの豆腐の消費は七〇丁前後。夏の冷奴、冬の湯豆腐ばかりではなく、普通の家庭の普通の菜として定着している豆腐。
それにしても、江戸時代の「豆腐百珍」という本には二三〇種類以上もの豆腐料理が紹介されているという。揚げても、煮ても、蒸しても、炒めてもよし。和風、中華風、洋風とあらゆるジャンルの料理に使われ、あらゆる調味料との相性がぴったりの豆腐のことだ。今はもう、二三〇種類などとうに超えているだろう。
そして、さまざまにアレンジされて食卓に並ぶ中で、最も一般的な、厚揚げ(生揚げ)と雁もどき、油揚げから、飛龍頭(京都)、豆腐ちくわ(鳥取)、いぶり豆腐(富山)などの郷土色豊かなものまでと、豆腐の仲間は尽きない。